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2006/06/23

風雲千早城(764)

今日も農耕的に仕事をした。

・講談社のF田さんより昼過ぎに電話。26日に、いよいよ、一休の最新短編集「東山殿御庭」の見本が出てくるという。これは、この三年間、書き溜めた一休の短編を集めたものなので感無量である。
なお、今後、一休の短編はシリーズ名を「ぬばたま一休」とする。「ぬばたま」は「闇」の枕詞なのだが、同時に「闇」そのものを暗示する。滝沢馬琴は「野干玉」とか「射干玉」と表記して「ぬばたま」と読ませている。ところが、この「野干」「射干」とは立川流における妖獣のこと。古来、「管狐(くだぎつね)」=「管狐」の「管」音は、「射干」「野干」の「干」音と通じている)は狐の化け物とされ、多くの画家が人間と交わる狐を描いてきたが、実はジャッカルであると喝破したのが誰あろう、昭和初期の南方熊楠。…と、この話は「真田三妖伝」にはじまる真田シリーズで書いたので繰り返さない。
で、何が言いたかったかというと、闇の枕詞「ぬばたま」に「野干玉」「射干玉」の字を宛てて通ったくらい、江戸時代においては「闇」=「妖狐」=「立川流」なる観念連合が成り立っていたのではなかろうか、という、これはワタシの推測。

・そんな訳で、ぬばたま一休の短編集、見本が届き次第、改めて撮影し、皆様のお目に供したく思いまする。

(かなりの時間経過)

「魔京」第二回、書き始めてます。

「陰陽(ふゆなつ)、謬(あやま)り錯(たがひ)て、寒暑、序(ついで)を失へり」
 という日本書紀の記述を京都(みやこ)が定まらないために世界の中心が既定されず、時空が混沌としかけている、というふうに解釈して、SF的な伝奇の扉をこじあけようと思っているのですが、なかなかイメージとか「やる気」とかが動いてくれず、色んなことをやって「書くぞ!」様を召喚しようとしています。「書くぞ!」様、来てください。あ、出来れば、三十代後半~四十代後半の和服美人の姿でご降臨くだされば、わたしは一生ついていきます。

・昨日の昼に三時間くらい昼寝をしたせいか、昨夜は寝つきが悪かった。真っ暗な部屋でぼうっとしているのが苦痛でなくなってる自分に驚く。昔は酒でも飲まなければ夜のしじまに怖くて耐えられなかった。だが、今は窓の外がほの明るくなるまでぼうっとしていた。ことによると、死ぬ時も、こんなふうなのかもしれない。

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