« 風雲千早城(805) | トップページ | 風雲千早城(807) »

2006/08/26

風雲千早城(806)

本8月26日を持ちまして、
わたくし、
朝松健は作家生活20周年を迎えました。

 思えば日本にオカルト小説・ホラー小説を根づかせようなどと大それた望みを抱いて、足掛け五年勤めた国書刊行会を円満退社し、大學時代から暖めていたキャラクター比良坂天彦の物語を書こうとプロットを朝日ソノラマの村山部長に提出してから一年余、原稿を書いては破り続けました。
 その間に生活の糧を得るため、オカルト雑誌に記事を書いたり、ポルノチックなSFの翻訳をしたり、水木しげる先生の漫画の原作を書いたり、漫画雑誌のページ欄外に占い・おまじないの短文を書いたりもいたしました。
 
 そうして、やっと完成した処女作『魔教の幻影』が発売された日、喜び勇んで近所の武蔵書店に駆け込んで、ジュヴィナイル文庫売り場を探した挙句、一冊もなくてガッカリして帰宅したのを昨日のように思い出します。
 
 思えば、わたしは、大衆の欲求と乖離したところから出発したようです。
 
 その後、1992年のバブル崩壊。大陸書房の刷り部数・印税の誤魔化し。父親の事故死。それに続く父の生命維持装置を止める書類へのサイン。オウム事件の衝撃と、マスコミの追求に対する彼等のレトリックに自作が使われているのを目の当たりにしたときの絶望。インフルエンザから脳膿瘍になって味わった生まれて初めての痙攣発作。半日にも及んだ脳手術。目覚めたとき、左半身が動かないと知ったときの思い。脳への投薬による幻覚・幻聴・観念の空転。人間が頭に穴を開けたまま、脳が空気に晒されたままでも生きていられると知ったのも、この頃です。退院したとき、頭を護るためにヘッドギアをしていましたが、折りしも世はオウム事件の真っ只中。ヘッドギア=オウムという世間の認識はわたしを一層絶望させました。「ゆえなき差別」に対する怒り、そうしたものを抱く人間への軽蔑は、このとき、決定的になったと思われます。さらに病後のリハビリ、大病後の経済的な圧迫と戦いながら三人の子を育てなければならない生活については、もはや口にしたくもありません。現在もわたしが「障害者自立支援法」に反対するのは、自分も、この悪法に泣く立場であったからです。

 それでも幸せなことは幾つもあります。
 ソノラマや光文社、講談社、角川書店、春樹事務所、ソフトバンクなどが仕事を回してくれ、そのなかから「室町」という生涯の舞台を発見し「一休宗純」というライフワークのキャラクターにめぐり会えたのです。
 また、未完であった作品、「旋風伝」はソノラマの、「魔術戦士」は角川春樹氏のご理解で完結することができましたし、「マジカル・シティ・ナイト」までソフトバンクの協力で完結編を書くチャンスがもらえたのです。
 わたしは傍で見るよりは幸せな作家なのかもしれません。

 20年。恐るべき長さです。
 20年。しかし、あっという間でした。

 これから20年があるとは到底思えませんが、せめて長男が就職するまでは生き続けたいものです。
 そして、それまでに「室町ゴシック」と「ぬばたま一休」を納得いく形で完成させたいと思います。
 
 どうぞ、皆さん、今後ともお付き合いください。
 最後までお読みくださいまして有難うございました。

心より首にかけたる傀儡師 鬼を出そうと仏出そうと
                     (一休宗純)

|

« 風雲千早城(805) | トップページ | 風雲千早城(807) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 風雲千早城(806):

« 風雲千早城(805) | トップページ | 風雲千早城(807) »