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2011/07/03

風雲千早城(1359)

今日も農耕的に仕事をした。

・今朝午前2時、突然電話があった。

・菊地秀行さんからだった。

土井さんが亡くなった、と言うのだ。土井さんと言っても皆さんは御存知ないだろうが、那智史郎氏と言えばクトゥルー神話ファンの方はお分かり頂けると思う。

・『真ク・リトル・リトル神話大系』の編者の一人であり、『ウィアード・テールズ』を宮壁定雄氏と共に編纂され、『定本ラヴクラフト全集』の編集委員であった。

・それ以上に、わたしにとっては同人会「黒魔団」の仲間であり、B級ホラーを愛する友であり、兄貴分であった。

・最初に知りあったのは私が高校二年生、那智さんが二十代半ばの頃だった。当時、那智さんは西鉄のエリート営業マンで、西鉄が発行するPR誌の編集をしていた。こちらは生意気盛りの高校二年生だった。

「わたしはダーレスのアクション仕立てのクトゥルー神話が好きで」

という那智氏の言葉が衝撃的だった。

・我々はラヴクラフト・スクールのように文通で互いの趣味や夢を語り合った。

・最初に二人でやった「仕事」はゼリア・ビショップの『イグの呪い』だった。那智氏が翻訳して、私がその原稿を編集し、小冊子にして発行した。経費はお年玉二万円で足りた。発行部数は百部。

・真冬の夜に北大にある生協プリント部まで一人で受け取りに行き、鼻歌まじりで帰ってきた。広大な北大のキャンパスを夜に横切るのも、寒さでかじかむ手も、指に食い込む小冊子の重さも気にならなかった。

・同人雑誌の最新号の付録として『イグの呪い』を同封して、会員や、後見人に送付した。紀田順一郎先生も荒俣宏さんも鏡明さんも塩谷隆志先生も喜んでくれたが、一番喜んでくれたのは平井呈一先生だった。
「拝読しました。非常にこなれた翻訳で感服しました。この調子であと十篇もお訳しになるとよろしいと思います」
この平井呈一先生からの言葉に那智さんは本当に喜んでいた。

・初めて那智さんとお目に掛かったのは、私が大学一年生の時である。東京に出張で来た那智さんと、ひばりが丘の駅で待ち合わせして、そのまま、駅前の飲み屋に入った。飲み屋が終わるまで語り合い、その後は私のアパートの部屋に移って、酒を飲みながら話し続けた。

・ユニヴァーサル・モンスター映画について、ハマー・ホラーについて、ラヴクラフトとコスミック・ホラーについて、ダーレスについて、ウィアー ド・テールズについて、アメコミについて、日本の怪談映画のこと、福岡に出る妖怪のこと、長崎の父上のこと・・・・。我々は朝まで語り続けた。

・二度めに上京した時、那智さんは8ミリ映画を何本も抱えてきた。それはB級ホラー映画の短縮版だった。『フランケンシュタンの娘』『フランケン シュタイン対狼男』『吸血魔獣の惨劇』『巨大カマキリ』『半魚人の復讐』・・・・。ビデオもなかった当時は8ミリ映画で短縮版を見るのがホラー映画ファン のささやかな贅沢であり、至福の時だった。

・国書に入社して、企画を任された時、クトゥルー神話のアンソロジーを提案したのは、おそらく『イグの呪い』が記憶にあったからだろう。私は那智さんと宮壁さんに電話して、作品セレクションを手伝ってもらった。

・びっくりするくらい限られた予算の中で、那智さんは作品セレクション、翻訳、解説と八面六臂の活躍だった。

・こっちも企画を成功させようと(私は編集専従ではなく、広告部の仕事をしながら電話連絡し原稿を集め、家に持ち帰って原稿整理した)、広告媒体を選び、広告図案やコピーに力を入れ、さらに各媒体にパブリシティーを持ち掛けた。

・その甲斐あって『真ク・リトル・リトル神話大系』は最初の全2巻が全5巻に拡大され、最終的に全10巻11冊の長大なシリーズとなった。これも那智さんの熱意の賜物である。

・『真ク・リトル・リトル神話大系』の成功に気を良くした経営者はホラーとオカルト路線の拡大を命じてきた。私は喜んで、雑誌『ウィアード・テー ルズ』の著作権管理者ロバート・ワインバーグに連絡し、「ウィアード・テールズ」という誌名の英語と日本語での使用権を買い、全作品・全表紙・全イラスト の使用権を買った。

・その一方で宮壁定雄氏はアメリカの研究家と話をつけ、ロバート・ブロックやレイ・ブラッドべリ、マリー・エリザベス・カウンセルマンといった存 命中のウィアード・テールズで育った作家に連絡をとり、彼らから短いエッセイを書き下ろしてもらった。現在、流通しているブロックの随筆集には、この国書 版『ウィアード・テールズ』のためにブロックが書いてくれたエッセイが付録のように収録されている。

・アーカム・ハウス叢書のセレクションは、矢野浩三郎先生・仁賀克雄先生・太田博先生の意見もうかがったが、最も参考にしたのは那智さんの意見 だった。それは、私が何をしたいのか、この仕事の向こうに、あるいはこの仕事の次、その次、次の次に何をしようと企んでいるのか、分かってくれるのは那智 史郎さんだけだったからである。

・それでも、那智さんと意見が対立することはあった。たとえば『定本ラヴクラフト全集』の構成である。あまりに文学性に傾き過ぎてエンターティン メント作家ラヴクラフトというのを忘れてはいないか、と那智さんは苦言を呈してくれた。だが、これが一生に一度の機会と、私は宮壁さんの協力で当時無名 だったS.T.ヨシはじめ海外のラヴクラフト研究家の論文や、ラヴクラフトの断簡零墨まで網羅した全集にしようと邁進した。

・それから那智さんはオカルトに対して慎重で、「心霊や妖怪は取扱いに気をつけたほうがいい。あいつらは味方する振りして最初は御利益をくれるが 結果的には裏切るから」と忠告してくれたものである。これは長崎か博多に住む知り合いの霊能者に聞いた話ということで、オカルトと頭のおかしいホラー・ ファンは遠ざけよう、と頻りにおっしゃっていた。

・那智さんが膵臓を悪くされたのは、私がまだ国書に在籍していた頃だった。まず、『真ク・リトル・リトル神話大系』の中盤戦の時。この時は急性膵炎で緊急 入院された。それから、私が国書を辞めた直後、那智さんが入院されたため、那智さんの訳される予定だったブライアン・ラムレイの『黒の召喚者』が宙に浮 き、その翻訳のお鉢が私に回ってきたのである。

・すでに下訳は完成していた。那智さんが具合が良くないと聞いて手配しておいたのだ。だから翻訳は訳文と訳語のチェックでよかった。まあ、それで も相当難儀な仕事なのだが。しかし条件は最悪だった。元社員のせいか、監修作業のギャラは十二、三万の買い取り。本が再版されようが三版されようが私には 一文も入らない。おまけに誰から聞いたのか知り合いたちからは「お前さん、下訳使ってるんだって。お前、そんなにえらかったっけ?」という電話や手紙が 入って来る。・・・今日非常に評判の悪い同署の解説は、当時の私の怒りの反映である。

・それはともかく、那智さんとの付き合いはプロ作家デビューしてからも円満に続いた。

・月光仮面の研究書を出したいと言う那智さんのために朝日ソノラマに一緒に行き、「オタクの父」こと村山実編集部長(『宇宙船』編集長)を紹介した こともある。那智さんの書いたレジュメを見た村山さんの反応は残念ながら、「十年前だったら採用していましたが、現時点ではこの切り口は古すぎます」とい うシビアなものだった。

・菊地秀行さんに土井さんを紹介したのもこの頃である。会った時の二人は横から見てると、まるで中学の時の同級生と再会したようだった。同い年、 同世代、ホラーファンの父上、という環境のせいだろうか。ホラー映画・ホラー小説・ラヴクラフト・クトゥルー神話への愛を二人はずっと語り続けた。

・菊地さんと別れて、二人で入った居酒屋で、「菊地さんも仲間だったんだね」と那智さんは昂奮した調子で何度も繰り返した。

・少し後、同じ福岡在住の友成純一さんを紹介したら、こちらも映画の趣味から一瞬で「仲間」になった。

・「ファンゴリア日本版」を立ち上げた時もいち早く那智さんに連絡して御協力を乞い、発行者の岡本晃一さんと福岡で会い、石田一氏と知り合い、那 智さんはホラーへの愛と情熱を今度は映画のほうに注ぎ始めた。石田一氏の「ハマー・ホラーの世界」は那智さんの協力なしでは完成しなかっただろう。

・・・・そんな昔のことを菊地さんと電話で語り合い、「近く会って、那智さんの思い出でも話しましょう」と約束しあった。

・つい十時間前のことだ。

・今のわたしは「仲間」を失った悲しみが、遅い毒のように広がりつつある。先日、大好きな人物だったひかわ玲子さんの御主人・米澤さんの急死を知 らされ、数日前、かつて一緒に仕事した怪獣博士・竹内博の死を知らされた。その悲しみが実感されるよりも早くまた一人、かけがえのない友の死に接してし まった。

・彼らの分まで生きて、「なにか」を残さなければ。

・今、わたしはそんな思いに猛烈に駆られている。

那智史郎さん、四十年もの間、楽しい付き合いをありがとう。貴方と知りあわなかったら私はダーレスの素晴らしさも、クトゥルー神話に伝奇やアクションを注入して閉塞した状況を打開するという方法論も知ることなかったでしょう。

・心からご冥福をお祈りします。

2011年7月3日

朝松健 識

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コメント

はじめまして。先日亡くなった叔父の足跡をたどっておりましたところ、こちら朝松様のサイトを訪れる機会を得ました。今から40年近く前、まだ私が小さかった頃に大変かわいがってくれた叔父の記事、懐かしく、有難く拝読させて頂きました。私の父(叔父の長兄にあたります)が20年以上も前に離婚したため、最期に叔父とあったのは祖父が他界した昭和57年の諫早だと思います。それ以前は、福岡の家に長いこと遊びに行ったりしてましたが、ドラキュラやフランケンシュタインの白黒映画やら月光仮面の話が好きな、私にとって最高の叔父でした。私が初めて8m/m映写機を手にしたのも叔父からで、その時一緒に戴いたフィルムは、大河内伝次郎の無声映画、「血煙高田馬場」というチャンバラものでした。当時まだビデオが普及する前のことで、私の欲しかった月光仮面の8m/mは叔父が大切にもっておりました。

それから30年という長い歳月が流れましたが、私にとって叔父は、去って行った実の父以上に、心の中で遠い九州の故郷の存在でした。残念ながら生前の叔父に会うことはできませんでしたが、叔父のお蔭で今では私の家族も初めて九州の土井の親戚と交流を持つことができました。

先週数日間叔父の家へ滞在しておりました。叔父の部屋にしばらく座り、机に向かってカリカリとイラストを描く叔父の後ろ姿を想像し、数十年振りに古い8m/mフィルムを見つけ、また昔よく父に送ってきてた同人誌を読んでは、叔父や祖父の懐かしい思い出に耽っておりました。

「月光仮面」の8m/mは、今私の家の本棚に大切に保管され、私になにやらニヤニヤした顔の叔父をいつも思い出させてくれます。私の母も偶然にも今年6月に他界しましたが、福岡には今も昔も全く変わらない叔母がおり、私のことをまるで本当の息子のようにかわいがってくれます。

隆介兄ちゃん、たくさんの温かい思い出ありがとう。

投稿: 土井 祐一 | 2011/10/24 15:10

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