今日も農耕的に仕事をした。
●昨日はとても頑張ったので、自分に対するご褒美として早く寝た。
午前10時半まで眠り続けた。
コーヒーをタップリ呑んで半日、ボーッとしていた。
午後も昼寝を1時間半。脳味噌が疲れていたようだ。
だいぶ楽になった。
●さて。
ここにイタリアの気鋭幻想作家ダーヴィデ・マーナ氏の楽しいエッセイをご紹介できることは、大いなる喜びであると共に誇りであります。
どうか貴方もマーナ氏と共に魔法の町トリノをご散策ください。
マッシモ・スマレ氏から写真とキャプションもいただきました。
きっと貴方の散策は、かつてない愉しいものとなるでしょう。
では……。
『魔法の町トリノ』 第1回
文/ダーヴィデ・マーナ (訳/マッシモ・スマレ) 写真と解説/マッシモ・スマレ
さて、ファイルを開けてみよう。
1962年11月1日の夜、体中刺青で覆われた男が、たまたま濃いブルーのFIAT 500に轢かれて死んだ。フィアットの運転手の名はマリア・テレーザ・ガイ(Maria Teresa Gay)、若い女性である。彼女の話では、男が車の前に急に飛び出してきたので、彼を避けることなどまったく出来なかったという。男の身体に彫られた刺青は、おかしな怪獣やセクシーな女性ばかりで、文字は一つのみ、ただ、……“M. T. Gay ? 1.11.62”……。
なんと彼を轢いた女性運転手の名前と事故日ではないか!
不思議なことに刺青は1940年~1950年頃にオーストラリアで彫られたものだったらしい……。
このような不思議な事件が、トリノでは次から次へ起こる。そして不思議な事件は昔から、ずっと続いてきたと言われている。だとしたら、1845年に「トリノが世界中の最も退屈な町なのだ!」と断言したフローベールは全く間違っていたのではないだろうか?
誰もが慎み深く、かつ静かな(現在益々カオス状態になりつつある交通を別にすれば)町なので、トリノでは誰もが自分の秘密を完璧に守ることが出来る。もっとも、最高に保護された秘密でも、この町では時間さえたてば、ねじれたり、変化した挙句、いずれ暴かれてしまうのだが。
そういえばノストラダムスとニーチェもここで眠ったことがある。この古い町は、彼等の脳に如何なる奇妙な夢を見せたのだろうか?
トリノは―─トリノ市議会が多くの有害な工事を実行したにもかかわらず―─ローマ時代の設計図がそのままに残り、道はあたかもチェスボードのように直角に交差している。
紀元前1世紀に古代ローマ人がこの辺に至った時、いま私が座っている場所に、ケルト系由来と思われるタウリ(Tauri)(2)の地域的な部族の村があった。ある研究者たちによると、タウリ部族は古代エジプト人と、未だ詳しく解明されていない内容の商売をしていた。エジプト人は約500年前、地母神イシスに捧げられた神秘的かつ不可思議な品〔オブジェクト〕を探して放浪した挙句、この場所に辿り着いたと伝えられている。
彼たちはその〔オブジェクト〕を見つけたのだろうか?
それは誰も分からない。
確かに、タウリという言葉は古いパピルス古文書にも記述され、古代ローマ人自身、大昔に太陽の馬車が(太陽神ラーか?それともユーフォー?)ポー川に落ちた、と語っていた。それでポー川の古い名前をエリダノ(Eridano)─―もともと太陽神の息子の名である。太陽の馬車が落ちたとき、彼が乗ってた―─と呼ぶのだという。
むろん、古代エジプトに関わる史跡は、現在も、町に点在している。―18世紀、サヴォイア家は特にエジプト関係の物品の蒐集に熱心になり、やがて、カイロのエジプト博物館についで世界で最も大きな古代エジプト博物館であるトリノエジプト博物館(Museo egizio)を創立したのだった。
トリノエジプト博物館は、町の中心にに位置しており、秘教主義者や神秘学者にこよなく愛されている場所である。博物館に─―幽霊を信じるならば─―幽霊が数多く出現するばかりではなく、不思議な力を持っている“モノ“も大量に保存されているからである。
昔、ホールで観客を迎えていた牛のアピ神の像は、好意的なエネルギーの泉だそうだ。いわば、町の厄除けといったところか。ちなみにトリノという町名は、実際、toro(トーロ=牛)という単語が起こりだが、その動物は町のトーテム・シンボルでもあることを忘れてはいけない……。
しかし、同じ博物館にあるセトという破壊神の像は、そのアピと敵対する存在である。つまり、二つの神像は、善悪のバランスを保つ役目を果たしているようだ。
もしかするとアピとセトは、古代ローマ時代の町の設計図をチェスボードにして、彼等のゲームを愉しんでいるのかも知れない。
では、神々のチェスの駒は誰なのか?
死んだ刺青の男は、チェス試合では、一個の歩兵(ポーン)だったのではないのだろうか?
では、20世紀初めに、トリノで子供を誘拐したり、殺害した“牧羊神(ファウヌス)の足をもった獣”はなんだったのか? ジャック・ザ・リッパーがロンドンで暗躍していたのと同時代、1889年の秋に、トリノで3人の娼婦の腹を裂いた謎の殺人鬼も、神々のチェスの駒の一つだっただろうか?
そんなチェスボートなど存在しない、というのに、神々の残酷な試合は今後も繰り返されることだろう。
古代エジプト博物館から1キロ弱離れた場所の地下数百メートルには、古代ローマ軍の指揮官が崇拝した聖なる太陽神ミトラの神殿があるはずだ。同じエリアには、同時代のかまど女神ヴェスタの神殿址も、中世のベネネディクト派修道院址も埋まっているといわれている。
町の下に隠された、遙か昔に失われたそれらの建物は、トリノ全域を駆け巡る大量の地下道―─古代ローマ時代に作られた下水道、17世紀の防衛トンネル、王家の秘密通路と、ムッソリーニが作り始めさせて4キロで中止された地下鉄の残り―─の中心だと言われている。
それらは、『オペラ座の怪人』でよく知れたパリの地下道ほど有名ではない。しかし、勇ましい探検家ならばトリノの、網の目のようにめぐらされた地下通路を伝って、外に一歩も出ることなく、町を隅から隅まで渡ることが出来ることだろう。地下では埋まった神殿、埋もれた建物などが互いに繋がり合っているばかりか、多くの意外な秘密出口が王宮(Palazzo Reale)、古代エジプト博物館(むろん!)、その隣の科学アカデミア宮殿(Accademia delle Scienze)、町のたくさんの館(やかた)や領主の住居に隠されている、と伝えられる。
パリと違って、トリノでは地下道を見物するのは不可能なのだ(3)。それでも、地下道の調査は砲兵隊の将官であったグイド・アモレッティ(Guido Amoretti)大将の指揮する検査団によって50年前から行われている。
再びファイルのページにさっと目を通してみよう。
もう一つの謎が出てくる。
70年代の初め、トリノの北にある庶民市街に住んでいた子供には、目に見えない友達がいた。その友達の名を“サタン”といった……。
“サタン”は、念力で好きなだけ家具を移動させる力があり、テレビのチャンネルをひねることが出来、いたずらで子供の体を噛んだり、爪でつかんだりしていた。子供は、心配する母親を喜ばせようと、「友達には、もう会わないよ!」と言い出した。
その時、子供の胸が何者かのナイフで突かれたのだ。
何度となく!
ヒステリー症か?
子供は単に自分で自分を傷つけたのだろうか?
母親はショックで精神病院に入院してしまった……。
多くの研究者は、町の“暗い心”がスタトゥート広場(Piazza Statuto)だと認めている。広場では、全世界の“陰極”がほとばしっている。まるで、フランス=イタリアを繋ぐフレジュス鉄道トンネル記念モニュメントのすぐ近くの噴水のように、激しくほとばっているのだ。たとえば、大勢の市民はスタトゥート映画館(Cinema Statuto)の悲劇な出来事―─1983年に不注意と愚行の衝撃的な複合事故によって64人も亡くなった大火事―─を未だにはっきりと覚えている。
悪はスタトゥート広場に広まるのだ!
その悪を利用するのは、黒いチュニカを着てらんちき騒ぎの祭を行なう悪魔の崇拝者だ。彼等は町のどこにもいると噂される。
とにかく、トリノの有名なミステリー作家C・フルッテロとF・ルチェンティーニ(C. Fruttero & F. Lucentini)(4)が言った通り、悪魔崇拝者を知っている人物に会うのは難しいし、悪魔崇拝者を知っている人物を知っている誰かと会うのさえ難しい。要するに、トリノ社会の大事なエレメントだと囁かれながら、悪魔崇拝者の存在は意外にまったく目立たないのである。
現象面だけを見るならば、新聞に出る記事のようにまったくドラマチックな要素など有り得ないのだ。目に付く悪魔崇拝者の大部分は退屈な日常に飽きた、単に変態的なセックスがしてみたいお金持ち連中で、彼等が徘徊するところなど、概ね、本物のサタニストが潜む暗くも危険な芯の、単なる外側のみなのである。
トリノは、全ヨーロッパで最も祓魔師(エクソシスト)―ヴァチカンから派遣された、悪魔祓いが専門である神父―が多く活躍する町であるが、その理由は、真のサタニストが潜むからなのだろうか?
神秘の専門家によると、スタトゥート広場に潜む“闇”に対して、正邪のバランスを取っているのは、なんとあの伝説の聖杯だという! 聖杯は──光と精神の救いの泉なのだが──、トリノのどこかに隠されているというのだ。聖杯を見つけるためヒントはコンソラータ教会(Chiesa della Consolata)に隠されているはずだ。それから、町と教会のとなりにある、テンプル騎士団員が建てた建物のあいだまでヒントを追わなければならないのだそうだ。
しかし、今まで誰も聖杯が見つからなかったのはいうまでも無い。
神々のチェスボードで行なわれる、もう一つの試合……。
それとも、全て、同じゲームだったのだろうか?
魔法の町だから、魔法使いもいるのでは? と聞かれたら、きっぱりと応えよう。いかにもトリノに住む魔法使いは非常に多く、おそらく謎に包まれた悪魔崇拝者より、ずっと簡単に会える。
トランプ占い師、易者、霊媒、コーヒーかす占い師……魔法使いの“カタログ”にはキリが無い!
トリノで最も名が知れた魔法使いは、ガブリエル・ロッチザーノ(Gabriel Loccisano)だろう。テレビで馬鹿なことをやったり、アホな顔をして文法上の誤りの多いイタリア語を喋ったりしながらも、大人気のスターとなってしまった。更に、彼の“最高”のライバルである神秘主義者のミスター・ジョセフ(Mr. Joseph)。彼は、もともと水道工事屋で、大勢の人々には未だに「水道屋のペッピーノ」(5)という渾名で知られている……結局、トリノの現在の魔法使いたるや、まったく恥ずかしく、嘆かわしい有様である。
まるで見世物小屋だ!
昔、この町で魔術を行なったはアウグスト・アドルフォ・ロル(Augusto Adolfo Rol)だったが、彼は道化などではなかった。素晴らしい能力に恵まれ、魔法使いや慧眼や神秘主義者(ひょっとして、単に非常に巧妙な手品師かつ社会心理学者だったのか?)で、ロルは芸術者、監督、政治家たちから信用をかち得たのだった。ペテンであることを何度も証明しようとした超能力研究者たちは負けて、無言で町から退いていった。
彼の可笑しな後継者と違って、ロルはお客からお金など一切もらわなく、真の紳士だった。
不可思議なファイルから取り出した他のエピソード。
1794年、上品で美男のビアンドラ(Biandra)中尉(彼も砲兵隊の士官だった!)は、町の真ん中のエレガントなカフェで、美しい若い女性と知り合った。彼女は、背が高く、黒髪、エキゾチックな発音の喋り方で、「わたくしの家まで送っていただけません?」 と中尉に言った。
断れるものか?
瞬く間に二人は恋人になった。ただし、それは数ヶ月と続かなかった。ビアンドラは女性の真の姿をと知ってしまったのだ。まさか、彼女が二年前に死んだバルバラ・ベロセルスキ(Barbara Beloselski)姫だったとは!恐らく、ビアンドラ中尉は、ショックで一時的にインポになったことだろう……。
愛人たちは、2度と会うことができなかった。
今でも幾人かの人々が、中心街の店で、男を虜にしようとするバルバラ姫を最近目撃したと真面目に述べている。
トリノは幽霊で一杯である。
エジプト博物館の通路を痙攣性の動きで歩く霊。
それからあまり遠くない場所―─例えば、綺麗な菓子店バラッティ(Pasticceria Baratti)かカフェ・ムラッサーノ(Caffe’ Mulassano)―─でバルバラ・ベロセルスキ姫は永遠の寂しさを忘れさせてくれる男を探しているだろう。
カステッロ広場(Piazza Castello)は町の中心にある。そこに聳えるマダーマ宮殿(Palazzo Madama)の歓迎の間では、夜警が決まった夜に、ここで行なわれる怪しくも盛大な──いつも変わらぬ舞踏会を、時々じゃましてしまうことがある。別な夜には、古えの騎士が馬に跨って、大きな階段を走って、消える。
500メートルほど離れたバローロ宮殿(Palazzo Barolo)では、18世紀に亡くなった娘が蝋燭を手に部屋から部屋へとさすらう。彼女は、館(やかた)の横暴な主人の不幸な娘なのだという。ゴーストハンターは、窓越しに、娘の蝋燭の光が見られはしまいかと希望を抱いて、寒い外側で一晩中過ごすのだ。
さほど遠くないホテル・プリンチピ・ディ・ピエモンテェ(Hotel Principi di Piemonte)の1階にはナチの尋問室があった。そこではナチス・ドイツの秘密警察、ゲシュタポに殺された人の亡霊が魂の平和を未だに求めてうろついている。
意地悪な死霊はホテル・インギルテッラ(Hotel Inghilterra)の1階にも憑いている。
ガリバルディ通り(Via Garibaldi)辺―─まさしく“牧羊神の足の獣”が恐ろしい活躍をした近くの場所だ─―の年取った洗濯女から、1851年の大火事で亡くなった夫婦、現在トリノのナイト・ライフの中心となったデッレ・エルベ広場(Piazza delle erbe)で自殺した人までの亡霊が22種類以上もある……。
不可思議な話はきりが無い。
10年間、気のいいおかみさんと定期的に連絡していた宇宙人のこと(ケネディー大統領の殺害企画について殺人が起こる前に彼女に話してあげたそうだ!)、コンスタンティヌス大帝が燃える十字架―In Hoc Signo Vinces(6)―の幻を見た場所からさして遠くないムスィネ(Musine’)山にUFOが着陸すること。
謎の東洋人のフォトロマン・モデルをリーダーとして、アブサンを飲んでいたカルトは70年代にトリノから追い出されて、大きな集団自殺で中部アメリカで大変な集団自殺事件を起こしたとか……。
トリノの丘の忍者もいる。彼等は、もしかして東方の古い伝統の後継者なのだろうか? それともジャンクなチャンバラ・カンフー映画を観すぎた、単なる馬鹿なオタクの集まりなのだろうか? 忍者は80年代に、スペルガ(Superga)行きの道(バカップルが最後に行きつく場所)で、強盗に脅されていたカップルを助けたことがある。彼等は言ったそうだ。
「ご心配なさるな。正義の味方、忍者でございますー!」と……。
また、OTA会(7)の待ち合わせ場所、ソルフェリーノ広場(Piazza Solferino)に「四季の噴水」という噴水がある(フリー・メーソン団員がテンプル騎士の黄金を使用して作ったそうだが)その形の均整には昔の錬金術の秘密が隠されているとの話だ……。
町は―─トリノ市議会が命じられた多くの有害な工事にもかかわらず─―ローマ時代の設計図のままに残り、道路はまるで大きな蜘蛛の巣のように直角に交差している。
全ての謎、悪魔、希望と恐怖は、何世紀ものあいだに、道や家や人間の作った大きな蜘蛛の巣に捕らえられたのだ。
恐らくトリノに憑くのは亡霊ではないだろう。
町の人々こそが、無理矢理、過去の亡霊を引き留めているのではなかろうか?
確かなことは、ただひとつ。
フローベールは、間違っていたのだ!
(了)
ダーヴィデ・マーナ
トリノ、10/8/2004
翻訳:マッシモ・スマレ
注記:
(1)トリノの魔法的なアスペクトについて板東眞砂子氏の「魔都トリノ」(『聖アントニオの舌』、角川文庫、2004)も読む価値がある面白いエッセイだ。
(2)恐らくもともとインド・ヨーロッパ語族の言葉(tauro=牛)で、「牛の民族」、「牛ほど強い力を持っている民族」と言う意味だろう。
(3)しかし、ピエトロ・ミッカ博物館(Museo Pietro Micca)に行けば少しでもその地下道が見られることがある。
(4)場面がトリノである代表作の『La donna della domenica』は、日本語にも翻訳された(C・フルッテロとF・ルチェンティーニ著、『日曜日の女』、上・下2冊、訳:千種堅、河出書房、1973)。1975年にその作品は映画化され、監督はルイジ・コメンチーニ氏、主人公はマルチェッロ・マストロヤンニ氏。
(5)ペッピーノ(Peppino)は、ジュゼッペ(Giuseppe)から出た愛称だが、英語ならばそのジュセッペはジョセフで、結局、「ミスター・ジョセフ」という芸名になった。
(6)ラテン語だが、意味は「この印にて勝利」なのだ。大帝が見た十字架の周りに書かれていた文字だった。
(7)Orientalisti Torinesi Anonimi(トリノ匿名東洋学者)。マーナ氏、スマレ氏を含めた6人の、東洋文化に興味があり、お喋りが好きな、とても小さいグループだ。
〔写真と解説〕
-
Palazzo Madama 1
カステッロ広場に聳えるマダーマ宮殿……デカイなー!長い間作り続けられた城だ
けに
まさに違う時代のスタイルのミクサーなんだ。その中のサロンで幽霊の舞踏会が
催されているって……。
-Palazzo Madama 2
ある夜、亡霊の騎士は自分の愛馬に跨ってこの優雅な階段を走ると
言われている。「この国をもらった!」と叫ぶだろうかな?おっ、
サムライじゃないね。(笑)
- Baratti 1
菓子店バラッティ……上品なお店だよ。美女の幽霊バルバラ・ベロセルスキ
姫はいないの?
- Baratti 2
とりあえず、いないらしいね!
- Museo Egitto
これは、トリノエジプト博物館の入り口だ(強そうな門!)。そのなか、ミイラと
棺、宝石と像のあいだに、牛神のアピと破壊神のセトは今も恐ろしいゲームを
しているかも?
- Porta Palatina
では、これから『魔法の町トリノ』外伝の写真だよ―!パラティーナ門(Porta
Palatina)は、
現在残った唯一の古代ローマ時代の門なんだ(昔四つだったけど)。それもデカイ
な……。
- Chiesa mediovale
聖ドメニコ教会(Chiesa di San Domenico)で、中世に作られたものなんだ!やっ
ぱ、トリノは
本当に古い町だぞ!
- Vetrate
見て写真を撮らずにいられなかった……とても綺麗な、素晴らしい窓だ。
- Crocerossa
古代エジプト博物館に向かった時、そばの広場になんと、救急車展示会が
あった!これは、二十世紀初めのもので、もちろん、馬に引かれていたね。
(写真と文/)マッシモ・スマレ
*なお、スマレ氏の翻訳は朝松が校訂・加筆いたしました。
同様に写真の「解説」も朝松が編集いたしました。
本文中の責任は、すべて朝松健にあります。
ご注意・ご指摘・叱責等はすべて朝松あてにお送りください。
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●マーナさん、スマレさん、ありがとうございました。
さて、わたしは、これから短編の後半を書き始めます。
ではっ!!
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