2016/10/19

「Faceless City」

Faceless City In an age after Cthulhu has been resurrected, detective Juzaburo Kamino chases after the mysterious Nether Sign on the streets world's more dangerous city, Arkham. His 1938 Phantom Corsair sits shrouded in darkness, and in the front passenger seat next to him, his beautiful bodyguard. Out of the blue, the pair are attacked by the Fire Mage "Lanky Killer", and the dark skies are ripped asunder by Cthulhu's tentacles. An all-original Cthulhu noir novel.

クトゥルー復活後、世界で最も危険な都市アーカムで、探偵・神野十三郎は〈地獄印Nether Sign〉の謎を追う。闇 を駆けるファントム・コルセア1938。助手席には美しきボディガード。そして二人を襲う〈火〉魔術師ランキー・キラー。闇空を裂いて伸びるクトゥルーの触手。Cthulhu Noir Novel ここに刊行!

Il nuovo romanzo di Ken Asamatsu illustrato da Yuko Tsukishiro! “Dopo il risveglio di Cthulhu, ad Arkham, la città più pericolosa del mondo, il detective Juzaburo Shinno investiga sul mistero del segno Nether. Sulla sua Phantom Corsair 1938 percorre l'oscurità insieme alla sua affascinate guardia del corpo, mentre al contempo è attaccato dal mago Lanky Killer. I tentacoli di Cthulhu si allungano sferzando le tenebre! “Faceless City”, il primo romanzo della serie di romanzi noir di Cthulhu!!!”

(tradotto da Massimo Soumare ')

Facelesscity_3

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2010/06/09

風雲千早城(1379)

今日も農耕的に仕事をした。

日本のスペース・オペラ、ダーク・ファンタジー、ハードSFを専門に紹介・書評してくれるアメリカのサイト「HAIKASRU」に、"Cthulhu’s Reign"に収録された拙作『球面三角』の書評が掲載されました。英文のままで宜しければお読みください。

“Spherical Geomtery” by Ken Asamatsu

by nickmamatas

Haikasoru is, of course, your ultimate source for Japanese SF in translation, but we’re always happy to see others taking up the charge. I was tickled to read “Spherical Geometry” in the new anthology Cthulhu’s Reign. As the title suggests, the story isn’t actually about Cthulhu but instead riffs on “The Hounds of Tindalos” by Frank Belknap Long. “Hounds” is both a classic in that it introduced the fun and frightening concept of time-spanning monsters from another dimension that can enter any room with an angle―and it’s a piece of hackwork because the climax involves this sentence that was supposedly written down by a character as he died:

Smoke is pouring from the corners of the wall. Their tongues―ahhhh―

If only Long had been writing in the age of tape recorders or webcams!

Anyway, Asamatsu’s book uses the same monsters and gives it a wonderful Japanese spin. As one character explains, “The black magicians of the West treasured the pentacle because it held five angles. The mandalas of the East were round, curves without angles…The ancient Chinese knew the esoteric meaning of triangles, and so named the triangle formed by the triangle of Sirius the ‘Evil Stars’ for just that reason.”

Also, Asamatsu wisely observed that if the Earth were ever besieged by angle-traveling monsters, Tokyo’s City Hall would be in beeeeg trouble:

Photo by Wikimedia Commons

Angular enough for ya?

It’s a cute story with a goofy ending, though not nearly as goofy as Long’s original. If you’re interested in J-horror, I’d recommend giving “Spherical Geometry” a look…if your eyes can stand it!  」

http://www.haikasoru.com/science-fiction/spherical-geomtery-by-ken-asamatsu/

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2010/04/07

風雲千早城(1337)

今日も農耕的に仕事をした。

・本日、アメリカのインターネット・マガジンに書き下ろしアンソロジー「Cthulhu Reign」寄稿者インタビューが

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2010/03/30

風雲千早城(1330)

今日も農耕的に仕事をした。

・本日午前の便にて"Cthlhu's Reign"が届きました。

・やや小さめの版型ながら本文309ページのボリューム。砦に触手の攻めよせる表紙も大変カッコいいです。

・目次をご紹介しますと──

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2009/11/09

『クトゥルーの御世』情報

唐突ですが、たった今、尾之上浩司さんより連絡が入りました。

2010年4月にアメリカで発売予定の書下ろしクトゥルー神話アンソロジー
Cthulhu's Region『クトゥルーの御世』の表紙が決まり、密林にアップされた模様。

実物は下記をクリックしてください♪

http://www.amazon.co.jp/dp/0756406161?tag=uncledagontem-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=0756406161&adid=10NCS463NTKG0FRWEK6M&


ワタシの書下ろし短編『球面三角』も、このアンソロジーに収録されます。うわー、なんだかドキドキしてきましたね。やっぱり初の国外からオファーされた短編小説だからだなぁ。来年春が楽しみですよわーい(嬉しい顔)

内容を改めてお知らせしますと、これは「クトゥルー降臨後の世界」をテーマにした書下ろし短編アンソロジーです。ただしアンソロジーに参加している作家は編者のダレル・シュワイツァーさんしか知りません。わたしも自分以外に誰が書いてるのか、まったく知らされていないのです。ですから、一層、闇鍋的な楽しみが掻き立てられますね。

どうぞ、来年の4月をお楽しみに。

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2009/06/21

1Q84の思い出

・国書刊行会で定本ラヴクラフト全集を刊行しはじめたのは1984年10月下旬からのことだった。奥付には「昭和59年10月24日第一刷発行」となっている。マニアックな編集者としてはハローウィンに店頭に並べたかったのだ。

・だから定本全集刊行記念の「ラヴクラフト・フェスティバル」(草月ホール)はハローウィン・パーティーの気持ちだった。

・ところで、刊行に先立つ二ヶ月ほど前、こちらは取次や書店にばらまくためのパンフレットを作らなければならなかった。

・国書のパンフの特徴は豪華な推薦者陣にある。それまで幻想文学大系やメルヴィル全集に比べられて社内でゲテモノ扱い(稼ぎはホラーやオカルト書のほうが圧倒的に多かったのだが、社長も幹部もブンガク的だった)されて屈折していた私は、「なら、貴様らが腰を抜かすような人物に推薦をとりつけてやる」と誓った。

・そして連絡したのが、田中光二氏と、村上春樹氏だった。田中氏に関しては不思議なことに推薦文をご依頼したときの記憶がすっぽ抜けてるが、村上春樹氏に関してはよく覚えている。

・秘密のルートで知り得た番号に電話して、「ラヴクラフトのオリジナル・テキストをS・T・ヨシが校訂したテキストの版権を買い、これを元に翻訳を進めた完全な全集です」と説明すると、村上氏は静かな調子で「わかりました。ラヴクラフトは好きな作家です。推薦文を書きましょう」と二つ返事で承知してくれた。そして「原稿を取りに来てください」と続けられたのだった。

・ところで、わたしはこの時点において、村上春樹氏の小説を読んだことがなかった。ただ、村上氏がラヴクラフティアンであること、奥様もクトゥルー神話やラヴクラフトがお好きであること、この二つをラヴクラフティアンのネットワークで知っていただけだった。考えてみると、こんないい加減な編集者などあるものではない。また、1984年当時、すでに村上春樹氏の文名は高く、いずれ日本を代表する文学者になると言われていた。それを知らずに「ラヴクラフティアンだから」という理由で天下の村上春樹に連絡し、推薦文を依頼するなど、今考えたら、恥ずかしくて三日くらい毛布をかぶって世間から隠れていたいくらいだ。

・だが、それをわたしは行った。

・そして、あろうことか、また電話して、「すみません。目下、ラヴクラフト・フェスティバルの準備に忙しくてお原稿を取りに伺えませんので編集部の者をやります。よろしくお願いします」と連絡したのだった。寛大な村上春樹氏は受け入れてくれ、わたしは村上氏の当時のご自宅の近くに住む新入の女性社員に言った。「あ、村上春樹先生のお宅に原稿受け取りに行ってもらえる?」女性社員は叫んだ。「村上先生のお原稿をわたしが受け取りに行っていいんですかあ!?」わたしは答えた。「ほんじゃ、よろしく」

・かくして、わたしは一生に一度あった「村上春樹氏に直にご挨拶するチャンス」を新入社員に譲り、草月ホールのスタッフとの打ち合わせに出かけてしまった。

・こうして頂いた村上春樹氏の定本ラヴクラフト全集への推薦文は以下の通り。パンフレット自体、今では入手不可能であり、かつ現在のラヴクラフティアン諸氏も膝を打つ指摘がある名文なので下にあえて引用してみる。【定本ラヴクラフト全集パンフレットより】

「僕にとってラヴクラフトという存在はひとつの理想である。
 しかし、もちろんそれはラヴクラフトの小説が理想的な小説であることを意味しているわけではない。ラヴクラフトの小説は決して理想的な小説ではないし、ある場所での彼の小説は小説でありつづけることを放棄しているかのように思えるほどである。
 それにもかかわらず我々小説家は──という言い方がまずければ少くとも僕は──ラヴクラフトを手にとるたびに、小説を読むことの喜びの髄とも表すべきあのすさまじい戦慄を身のうちに感じないわけにはいかないのだ。ラヴクラフトを読むことは、ひとつの総体的な体験である。彼の小説が小説であることを放棄するとき、我々もまた単なる読者であることを放棄し、地図のないラヴクラフトの闇の迷路を彷徨うことになるのだ。
 二十世紀の現代作家たちが意識性と無意識性というふたつのファクターのあわせ鏡で苦悩しているとき、ラヴクラフトはまったく別の個人的深淵を押し開いていたのである。
                                        村上春樹     」


・村上春樹氏がR・B・ジョンソンの『地の底深く』という短編(ニューヨークの地下鉄を食屍鬼が徘徊して地下鉄事故を起こす物語)に作家としてのイマジネーションを掻き立てられ、よく似た存在を、現代社会の闇あるいは悪意の象徴として用いられたことはよく知られているが、それ以上に村上氏は、クトゥルー神話という多重的な時空を有した絶望の宇宙誌に、現代という「地図のない」「闇の迷路を彷徨う」我々現代人の象徴を読み取ったのではないだろうか。

・村上春樹氏の最新作『1Q84』に「リトル・ピープル」というアーサー・マッケンやロバート・ハワードの怪奇小説でお馴染みの存在(同時にそれらはクトゥルー神話と英国怪奇小説とのボーダー作品でもお馴染みの存在である)への言及があると知ったとき、わたしは咄嗟に『1Q84』を読み解く鍵が、他ならぬ1984年に書かれた定本ラヴクラフト全集への推薦文に隠されているのではないか、と思ったのである。

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2007/08/22

風雲千早城(977)

今日も農耕的に仕事をした。

・以下に掲げるのは「秘神界」英語版・第三巻の序文です。
どうしてこんなところにアップするのかといいますと、最後の節が、わたしの手違いで抜けたまま、公刊してしまったからです。つまり、これが「序文」完全版という訳です。


───*───*──────*───*──────*───*──────

「秘神界」英語版・第三巻 前書き



 ゆらぐ脳髄

              朝松 健





本文中、【 】はルビを表す。



 あまりに良く出来た虚構【フィクション】に接した時、わたしたちは既視感【デジャ・ヴィユ】に襲われるものなのだろうか。
 既視感とはつまり、(待てよ。自分はこれと同じ話を知っている。友人から聞いたことがあるぞ)というあの感覚のことだ。
 たとえば、こんな話がある。──とある雪の日、酔った男が道に倒れている老人を発見する。老人は半ば雪に覆われていた。かなり裕福なのだろう、白髪はきっちりと整えられている。見事な髭をたたえ、高価そうな眼鏡をかけて、身にまとっているのは染み一つない白スーツだった。男は老人に「どうしました」と話しかけるが返事はない。触ってみると冷たく、固くなっていた。警察か救急に連絡しようとするが、生憎とケータイをバーに忘れてきてしまったらしい。男はやむなく重い老人を担いで家まで帰り、床にマットを敷くと老人を横たえて、
「お爺さん、明日の朝には救急車を呼びますからね」
 と断って毛布をかけてやった。そして翌朝、目覚めた男は、自分のベッドの傍らに毛布をかぶって横になってるカーネル・サンダースの人形を発見するのだ。
 この話を仲間うちですると、必ず、こんなことを言う者が現われるだろう。
「おい、待てよ。それは、ぼくの友人の友人のことだろう。こないだ、同じ話を聞いたぜ」
 残念ながらこれは君の友人の友人の話ではない。有名な都市伝説である。
 ことは都市伝説に限らない。
 UFОと超自然現象の研究家ジョン・A・キールはウェスト・ヴァージニアの片田舎に起こった蛾人間【モスマン】遭遇事件を調査中、一般市民から、まるでエド・ウッドの映画から抜け出したような陳腐な連中の目撃報告を聞いた。犬の死体を抱えてのたのた歩くゴリラ、嵐のなか橋梁を這い回るまだらのシャツを着た男、モスマン目撃者を脅迫して回る、黒スーツにサングラスの二人組(胸にはナポレオン・ソロがしてたような三角形のバッジをつけている)……。キールの報告書を読んだホラー映画ファンは言うだろう。
「おい、待てよ。それは、一九五〇年代に作られたモノクロのホラー映画だろう。先週、友達の友達と深夜テレビで見たぜ」
 おそらく、君は友達の友達と一緒に、雪の夜に酔ってカーネル・サンダースを担いで家に帰り、一息つくと、テレビでゴリラが黒スーツを着てモスマンを操る映画を見たのだろう。
 いや、これは揶揄でも皮肉でもない。
 わたしはクトゥルー神話を読む時に必ず覚える、あの「現実がゆらぐような感覚」のことをいいたいのだ。
 クトゥルー神話の魅力的な特徴の一つに、読者が味わう「ゆらぎ」感がある。
 たとえばオーガスト・ダーレスは古書のカタログで「ミスカトニック大学蔵書」の印が捺された「ネクロノミコン」がオークションに出されていたのを見た、と語っている。いっときアメリカに身を寄せていたアレイスター・クロウリーは偶然つけたラジオでヒトラーの演説の一部を聞き、「この男は、自分の魔術書を読んでいる」と呟いた、と弟子のカール・ゲルマーが報告している。
 また、戦前、何度となくヒットラーと直に対話したヘルマン・ラウシュニングは『永遠なるヒトラー』で言っている。
「……かくして、彼(ヒトラー)は自ら魔術師【メイガス】に、そして“名状しがたき宗派【ネームレス・カルト】”の司祭になる」
 ダーレス、クロウリー、ヒトラー、ラウシュニングはいずれも、クトゥルー神話というジグソーパズルのピースの一個になってしまった瞬間があったのだろうか。
別にわたしはラヴクラフトが魔術師で、現実とフィクションの境界を酸のように溶かし、世界をクトゥルー神話で覆ってしまうような魔法をかけた、と主張したいのではない。
 クトゥルー神話を創造した時、ラヴクラフトは、既成の小説や悪魔の名前や友人の作品を自作に取り込んだ。それは半分はマニアックな遊びであり、半分は自作にアンバランスなリアリティ──何処までが本当で、何処までがフィクションか分からない、不思議な「ゆらぎ」を与えるためであったに違いない。
 だが、ラヴクラフトは同時代のアメリカ作家と比べ、群を抜いて、「幻想のリアリティ」を極めんとする作家であった。
 それゆえ彼は、ウィアード・テールズで書いてる他作家が「世界的な規模で狂気が蔓延している」と一行で書いてすませるような部分を、狂気の犯罪・カルト集団の狂宴・理由なき凶行などを報じる新聞記事を延々と並べるような描写を続けた。その執拗さは強迫神経症の患者か、痛ましい現実を求めて新聞記事に読みふける「罪と罰」の主人公、あるいは科学の敵と笑われながらも異常現象のスクラップを作り続けたチャールズ・フォートのようだった。
 作中、語り手はずっと熱にうなされたように囁きかける。──先年起こったカルト集団による大量殺人も、世界に拡大しつつある暴動も、延々と続く地の果ての戦争も、みんな旧支配者【グレート・オールド・ワンズ】と関わりがあるのかもしれないぞ。超古代に眠りについた連中は、また目覚めて動き始めたんだ。そうでなくって、こんな狂気じみた事件が起こるはずないじゃないか、と。
 やがて、ラヴクラフトと、彼の後継者の語る太古の秘神たちの物語に接するうちに、君は遂に呟いてしまうのだ。
「おい、待てよ。それは友達の友達から聞いた話とそっくり同じじゃないか。この小説は実在の秘密の知識をもとに書かれたものじゃないのか」
 それではクトゥルー神話とは単なる「良く出来た虚構」なのであろうか。フィリップ・K・ディックやスティーヴン・キングのような、作者の幻想のリアリズムに読者を引きずりこみ、読者を中毒にしてしまう文学作品なのだろうか。
 わたしには、そう思えない。クトゥルー神話には、現実に大きくゆらぎを促す効果があるような気がしてならないのである。
 それはクトゥルー神話がまさに「神話」であることに起因しているのではあるまいか。──魔術、秘密結社、秘教の教義、儀式殺人、凶悪犯罪、政府や軍部の秘密研究、怪物、幽霊、妖怪、宇宙人、UFO、未知の伝染病、狂気の伝染……これらはXファイルのエピソードであり、同時に現代に息づく都市伝説のテーマであり、君もわたしも参加可能な神話なのだ。
 古代においてローマの牧夫は深い森に行けば、牧神が吹く角笛の音を聞くことが出来た。日本の漁師は嵐の海から突き出される数え切れない死者の手を見ることが出来た。中国の役人は皇帝への献上品のなかに腹に顔のある小人を見ることが出来たのである。それらは民衆にとって、まぎれもない事実であり、同時にいつでも参加することのできる神話【傍点十二文字】だったのである。
 そうだ。
 誰でも参加しえる神話のみが、「生きている神話」なのだ。
 この意味において世界中の誰もが参加可能で、今もなお拡大成長し続けているクトゥルー神話こそは、まさに生きている神話なのである。
 クトゥルー神話に接した時に誰もが感じた、あの「ゆらぎ」こそ、生きた神話に接した人間が感じる最も原始的な感情に起因するものだったのである。
        *
 十一年前、わたしはインフルエンザ・ウィルスが脳に侵入し、脳膿瘍に罹患した。右脳の一部が炎症を起こし、膿んで、脳が腫れて自らの頭蓋骨に圧迫されて破裂する寸前だったのである。遂に痙攣発作を起こして救急病棟に運ばれ、動脈カテーテルで脳内を検査されたわたしは奇怪な幻覚に襲われた。それは、腐ったキャベツのごとき大頭の化け物二匹に頭をこじあけられ、古臭い真空管式のラジオのような器具で脳をいじりまわされる、というものだった。それはまさしく「闇に囁くもの」で描かれた恐怖に他ならなかった。
 続く脳手術において、わたしは、娘の通う保育園のプレイルームにいる、という幻覚を見続けた。もう夜なのだろう。あたりはすみれ色の薄闇に包まれていた。わたしは床に坐って、レールの上を列車が回る玩具を見つめていた。レールには信号機が取り付けられている。時々、その信号のライトが点滅し、遮断機が下りてくる。それから、床の上をゴムの家鴨がキュッキュッと音を立てて歩いていた。このキュッキュッという音が神経を逆なでし、無性に腹立たしかった。腹を立てたまま、わたしは昏睡し、意識が戻った時には何日も経っていた。
 何十本となくぶら下がる点滴を見上げながら、わたしはぼんやりと考えていた。……わたしたちが暮らすこの世界は我々が考えているほど堅固なものではない。常に我々は不安定な「ゆらぎ」にさらされているのだ、と。
        *
 わたしたちを神話へと誘う「ゆらぎ」は時として、その揺れを大きくすることがある。
 そんな時、ゆらいだ現実の向こうから触手が突き出されるのだろう。あるいは水掻きのある手が窓ガラスを叩く。ピンク色に輝く蟹の鋏が頭蓋骨を外さんと伸びてくるのである。
 その時になっても、君は、やっぱりこう呟いているのだろうか。

「これは友人の友人から借りた本にあったシーンの一部だ。決して本当のことじゃない。こんなことがあったら、この世は地獄だ」
    

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2005/03/08

風雲千早城(427)

今日も農耕的に仕事をした。

●作品は亀の歩みで進んでいる。
 昨夜は五枚書けた。
 本日も同じように淡々と書き続ける予定なり。
 では、「日記」は?
 と考えてたら、竹岡さんより結構な翻訳をいただいた。
 ヒュー・B・ケイブの短編クトゥルー神話である。
 題名は「暗黒魔術」の島」。
 まずは、竹岡さん、作者とこの短編について教えてください。

「この「暗黒魔術の島」は国書刊行会の『ウィアードテールズ』別巻で那智史郎氏が粗筋を紹介していますが、ウィアードテイルズの1934年8月号に掲載されたものです。作者のケイヴは「ラヴクラフト・サークル」の一員ではありませんでしたが、作中の詠唱にはラヴクラフトの「闇にささやくもの」からの強い影響が見受けられます。
 語り手の宣教師は怖ろしい出来事に対処する能力を持たず、いささか戯画化された存在であるように思われます。旧支配者の力によって死者が蘇るというモチーフは5年後の「臨終の看護」と共通しており、祈りを聞き届ける神がハスターとナイアーラトテップである点まで同じです。
 ケイヴは読者を満足させる作品をきっちりと作り上げる職人技の持主だったと聞きますが、この「暗黒魔術の島」からも彼のプロフェッショナルな技量は窺えるように思われます。先生が解説をお書きになった『ラヴクラフトの遺産』にもケイヴの短編「血の島」が収録されていますが、彼はハイチで長く暮らしたことがあり、ヴードゥー教は邪教であるという偏見を取り除くために本を書いたこともあるそうです。
 ウィアードテイルズの作家たちの中で最後まで生き残っていたケイヴですが、2004年6月27日に93歳で大往生を遂げました。最後の最後までプロの作家として生きた日々だったと伝えられ、アーカムハウスから伝記が出ています。」

●なるほど、ありがとうございます。
 それではホリブルなひと時をお過ごしください。

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暗黒魔術の島

       ヒュー・B・ケイヴ
          竹岡 啓訳 

 ピーター=メイスをファイカナ島に連れてきたのはベラ=ゲイル号のブルック船長だった。
 若者が到着するまで私は彼に会っていないのだから、この物語の冒頭部はブルック船長の眼を通して語るべきだろう。
 そこで、私はしばし退場することにする。

 パペーテのジョーンセン交易商会がブルックにベラ=ゲイル号を提供したとき、彼は職にあぶれている最中だった。パペーテの大概の小さな会社と同じように、ジョーンセン商会が使っている二級の不定期貨物船もスクーナー式に帆装してあり、帆に風を受けて走るのだった。名のある船長なら、その中で一番ましな船でも引き受けようとはしなかっただろう。だがブルックは藁にもすがる思いだった。
 ファアイテに寄港し、北方のファカラヴァとタオウに向かってからラリオアで停泊して、スクーナーに積めるだけのコプラを取引するというのが彼の任務だった。彼は可能なら1カ月以内にパペーテへ戻ってくることになっていた。それから彼は旅客をひとり預かっていた。その旅客は白人で、ラリオアまで連れて行ってもらうことになっていた。
 その白人がピーター=メイスだった。もしも選べるものなら、ブルックはもっと頼もしい連れを選んだか、あるいは連れなど一人も選ばなかったことだろう。ピーター=メイスは不安げな表情をした痩せぎすの青年で、その双眸は何も見逃さなかった。歳はまだ25を越えていなかった。自分で語ったところによると、パペーテには3週間しか滞在していないとのことだった。
 スクーナーが出航する1時間前に彼は乗船したが、大きな木製の包装箱を持ちこんで、それを自分の客室に置くのだと言い張った。2日間というもの彼は一人きりで引きこもっており、誰にも一言たりとも説明しようとしなかった。
 しかし後ほどになると、彼は質問する時間と欲求が生じた。ベラ=ゲイル号がファアイテに到着する前に、パウモツにあるあらゆる環礁の名前を彼は問いただした。島民の習性について、彼らは白人をどう遇するのか、もっとも住人が少ないのはどの環礁か、スクーナー船の航路から外れていて一人きりになれそうな小島をブルックは知っているかを彼はブルックに質問した。一千ものことを彼はしきりに知りたがったが、自分自身の身の上や職業やラリオア行きの理由については一言も語らなかった。それに、自分の客室に置いてある包装箱の意味も教えようとはしなかった。
 ある日のことだった。出し抜けに彼はいった。
「船長さん、もしも僕が500ドル払ったら、寄り道して僕をファイカナで降ろしてくれますか?」
「500ドル!」ブルックは鸚鵡返しにいった。
「少なすぎますか?」
「一体全体」とブルックは問いただした。「ファイカナに何の用事ですか? あんなところで降りたら、タライみたいな船が拾いに来てくれるのにだって一生の半分は待たなきゃいけませんぜ!」
「もし500ドルでは少なすぎるというのであれば」とピーター=メイスは微笑した。
「その倍お出しします」
 ブルックが彼から聞き出せたのは、それだけだった。500ドル、倍額、そしてファイカナ。ファイカナ、この世の果てのような場所だ。マルケサス諸島の原住民が一握りと、おかしな考えに取り憑かれた宣教師が一人住んでいるだけの島だ!
 かくしてピーター=メイスはファイカナにやってきた。そして「おかしな考えに取り憑かれた宣教師」であるジェイソン神父、つまり私は初めて彼に会い、彼が携えている奇妙な木製の包装箱について訝しく思ったのだった。

 1週間のうちに若者は身を落ち着けた。原住民が見捨てた掘っ立て小屋を彼はまず見つけ、そこに引っ越して荷物を運び込んだ。それから、慌てることなく念入りに行動したが、その結果は驚くべきものだった。彼は原住民の協力を得て、私の家が中心にある小さな集落から3マイルも離れたところに家を建てはじめたのだ。何のために私たちの島へ来たにせよ、彼は一人きりでいたいらしかった。それでも彼は何度か私を訪問し、新居が完成したら最初の晩を自分と一緒に過ごしてくださいと慇懃に招待してくれた。
 私は彼の招きに応じ、いささか驚いた。原住民から噂を聞いてはいたが、彼にそれとなく誘われるまでは施工の現場に行くのを遠慮していたのだ。ファイカナの北端を覆っている荒涼たる地帯のど真ん中に空地があり、彼の家はその空地にぽつんと建っていた。村から彼の家に行くには、鬱蒼とした密林の中の狭くて危なっかしい道を通っていくしかなく、ひどく大変な思いをしながら1時間以上も歩かなければならなかった。確かにピーター=メイスはあまり客に来てほしくないのだ!
 しかしながら家自体は隅々に至るまで完璧だった──手の込んだ二間の現地式の家で、加えて階段の上に小部屋があった。彼と私はその晩そこに座り、地酒を飲みながらチェスを指した。私たちの会話に個人的な事情のことは一度たりとも出てこなかった。彼も私も質問せず、上の部屋にあるものを彼が私に見せようとすることもなかった。そして暇乞いをするべき時間になると、彼は私にお休みなさいと挨拶し、新しく雇った原住民の少年メネガイに私を村まで送らせてくれた。そして私が彼に会ったのは、2週間でその時だけだったのだ!
 だが原住民たちは詮索好きだった。そして私はその2週間に変な話をたくさん聞くことになった。島民たちは若者のことを「ピーテメ」と呼んだが、彼らにいわせるとピーテメは悪魔の化身だそうだった。日中は彼が二階の部屋で作業をしているのが聞こえたが、仕事をしていないとき彼は檻の中の獣のようにうろつき回り、ぶつぶつと独り言をいっていた。何度か島民たちは一階の窓のそばに忍び寄って中を覗きこんだのだが、見えたものは彼がテーブルに向かって座っている姿だった。彼は本の山の上に身をかがめ、その前にはウイスキーの瓶が積み上げられていた。彼は酔っぱらっていたそうである。彼の眼は大きく見開かれ、血走っていた。そして本を持つ手は震えていた。だが二階の小部屋に何があるのかはわからなかった。窓の外からでは覗き込めなかったのだ。
 こういう話はすべて非常に誇張されたものだということを私は知っていた。私の教えている人々はせいぜい迷信深い子供のようなものなのだ。だが、そういう話の中には幾らか真実があるに違いないということも私にはわかった。嘘をつくことによって物質的な利益が得られるのでない限り、原住民は故意に嘘をついたりはしないからだ。そこで、彼を我が家に招いて彼自身のことで話をしようと思い立つと、ある日の午後に私は彼の家へ行った。
 私が着いたとき、彼はそこにいなかった。ノックしても返事はなく、ドアを開けても中には誰もいなかった。彼がドアに特許品の錠前を取り付けたのを私は見ていたので、ドアを開けっ放しにして外出するとは変だと思った。私は大声で彼の名前を呼び、当惑して辺りを見回した。
 テーブルには本がうずたかく積み上げられており、厚紙の表紙をつけた原稿もあった。物好きにも私はこれらを見やり、それから熱心に調べてみた。そして身震いし、不浄な場所にいるかのような気分を唐突に覚えた。そこにあるのは一冊残らず禁断の書だったのだ。禁断の書といったのは私が神父だからではなく、真実と科学によって等しく弾劾された書物だったからである。そのうち一冊はフォン=ヘラーの『黒の祭祀書』だった。原稿の体裁をとっており、ラテン語で書かれているものもあった。それは『不可視なる帳』の完全版だった。私が考えるに三冊目は──そして自分の考えが正しかったことが今ではわかっているのだが──かの危険な論文『死神教典儀』の紛失した部分だった。わずかに4部が現存するのみだといわれているのに! 慈悲深き神よ、25歳の若者がこんな本のことを考えながら一人きりで暮らしているなど、あってはならないことなのです!
 すっかり困惑した私はテーブルから顔を背け、開きっぱなしのドアの近くにある椅子に座ってピーター=メイスの帰りを苛々と待った。彼が帰ってこないものだから私は立ち上がって床をせかせかと歩き回り、階上の部屋のことで原住民がささやいていたことを唐突に思い出した。私の傍らのテーブルに置いてある本と、二階の部屋にあるものは何か関係があるのだろうか? ピーター=メイスは単に書物を精読するだけでなく、もっと深入りしてしまっているということなのだろうか?
 私は躊躇した。ここは私の家ではなかった。私が立っている部屋の薄暗い片隅では、細いはしごが誘うように立てかけられていたが、そのはしごを登る権利など私にはなかった。だが私は聖職者であり、いかなる罪を若者が犯しているのか知って彼に適切な助言をする権利があった。そこで私はゆっくりと床を歩いていった。
 はしごは貧弱な代物だった。痩せた若者の体重を支えるには充分だったかもしれないが、私が安心して登れるほど頑丈ではなかった。私はゆっくりと用心深く上方を手探りし、どの格も確かめてから体重を預けた。そして私は階上に達し、天井の開き口を覆っているニッパヤシの敷物を脇にどけた。安堵の溜息をつきながら私は手をかけようとした。その時、二つのことが起きた。家のドアが勢いよく閉められ、私の背後や眼下で壁がガタガタ鳴った。そして私の目の前、私の目線と同じ高さのところに何かが見えた。それは二階の床に結跏趺坐していた。
 私はそのものを一瞬しか見なかった。酔っぱらった若者の手が伸びてきて私の脚をわしづかみにし、私は下に引きずり降ろされてしまったのだ。しかも薄暗がりだったので、誤った第一印象を受けることになった──その印象を私はその後何週間も抱き続け、真実であると信じていた。私が見たのは、私を見つめている裸の女性だったのだ。若く美しい少女で、板切れで作られて布地で覆われた台の上に身じろぎもせずに座っていた。彼女の傍らには包装箱があった。彼女は箱の中に入ってファイカナにやってきたのだ。彼女は私の方に手をさしのべており、その手には大きな金属の鉢があった。鉢の中では、何らかの化学薬品かその混合物が、エーテルのように甘い匂いを放ちながら燃えていた。
 私が見たのはそれだけだった。ピーター=メイスが私に飛びかかり、私の足の下ではしごの格が折れた。私は横向きに倒れ、壁に体をぶつけた。倒れたせいで頭がぼうっとなった。次にわかったのは、ピーター=メイスが私の前に仁王立ちになっているということだった。私は背中をテーブルに押しつけていた。そして両腕を突っ張り、若者が歪んだ顔を私の顔に突きつけようとするのを防いでいた。
 その瞬間ピーター=メイスには私がわかっていなかった。彼は憤激のあまり我を忘れていた。彼の顔は蒼白になっており、額には静脈が古傷のように浮き出ていた。野獣のような怒りが眼に宿っていた。不浄で怖ろしい言葉が喉から発せられて唇から吐き出された。私がよろめきながら後退して手探りで戸口まで進まなければ、彼は私を気絶するまで打ちのめしていたことだろう。もしかすると私は殴り殺されていたかもしれない。
 私は走った。これほどまでに怒り狂っている人間を説得するために踏みとどまったりしないだけの分別はあったからだ。彼と争う気はなかったし、あの禁じられた部屋を自分が詮索した理由を説明することも差し当たっては無理だった。私は全速力で走った。鬱蒼と生い茂ったチガヤの中を、小さな空地の縁まで骨折りながら闇雲に進んで振り向くと、彼は体を強張らせて戸口のところに仁王立ちになり、両手でドアの枠を掴んでいた。
 その光景を脳裏に焼き付けて私は踵を返し、村へと続く小道の中に駆け込んでいったのだった。

 それが、私がいみじくも恐怖の猖獗と呼んだものの始まりだった──私にとってではなく、原住民にとっての恐怖である。その日からというもの、ピーター=メイスの家に近寄るのは安全ではなくなった。そして、危険があるにもかかわらず、好奇心の強い原住民たちは相変わらず彼の家へ行ったのである。若者が怒り狂っているという話が一度ならず私の耳に入ってきた──立ち入りを禁止されている区域の中で原住民が運悪く見つかってしまうと、彼は狂人のように走り出してきて原住民を密林の中へと追い払うのだそうだ。なるほど、これらの噂話は私のもとに届くまでに尾鰭がついていたし、私が自分自身の経験のせいで大袈裟に受け取っていたことも確かだが、にもかかわらず重要なものだった。私はピーター=メイスの地所に再び行こうとはしなかった。
 そして、ある日のことだった。彼が私のところに来たのだ! 一人きりで、昼日中の暑い盛りだというのに帽子をかぶらず、裸足だった。彼を見ても、だらしがない身なりをしたこの堕落者が3週間足らず前には若く裕福な冒険家だったなどとは誰も思わなかったことだろう。彼は足取りをふらつかせながら私の方を向いた。彼の眼は隈ができ、血走っていた。息は酒臭かった。それでも彼は意気揚々としていた。彼は私を睨みつけた! 彼はもう何日もひげを剃っていなかったが、唇の端を吊り上げ、にやにやと意地悪く私に笑いかけた。
「それで」と彼はせせら笑いながら言った。「まだ知りたいですか?」
 私は我が家のベランダに立って彼を見つめた。彼を半ば怖れ、半ば哀れむ気持ちだった。
 だが彼は哀れんでほしがってはいなかった。彼の汚れた手は欄干を握りしめ、彼の素足はしっかりと階段を踏みしめていた。彼は私を見つめ返した。
「あの、喋れないんですかね?」と彼はいった。「僕が酔っぱらいすぎてるもんだから、人の言葉がわからなくなってるのかな?」
「君は」と私は冷ややかに言った。「酔っぱらいすぎているものだから、自分のしていることがわからなくなっているんだよ」
「そういう風に考えるんだ」といって、彼は顔を前に突き出した。「でも僕は何もしてはいませんよね? もう済んだんです。あなたが御自分の糞ったれな好奇心を満足させたいんなら、僕と一緒においでなさい。満足させられますよ! 心配は御無用です。今度は蹴り出したりしませんから。そんな必要はないんだ!」
 あのような怒りの爆発があった後だというのに私が彼に同行した理由は自分でもよくわからない。好奇心のせいだろうか? ある程度までは確かにそうだ。だが、好奇心だけが理由というわけではなかった。若者は病んでいた。彼は精神的に病んでおり、道徳的に病んでいた。助けが必要だった。彼に同行するのは私の責務だったのだ。
 そして私は出かけていった。疑念に悩まされ、彼が肉体的な危害を私に加えるのではないかという懸念を少なからず覚えながら、彼の後についてジャングルの中に入っていった。もしも彼が私を安全かつ密かに殺す気なら、あの薄明の迷宮の中で易々とやってのけられたことだろう。夜通しの雨の後だったので足許の小道はぬかるんでおり、不安定だった。歩けども歩けども頭上では枝が絡まり合い、蔦が雫を垂らし、枝と蔦の天井を通して陽が射すことは一度もなかった。私たちがのろのろと歩いていくと、至る所から水がぽたぽたと果てしなく滴り落ちてきた。私たちは一言も言葉を交わさなかった。
 彼は私を殺せただろうと私は述べた。だが彼はロボットのようにとぼとぼと歩き、黒い泥の中をびしゃびしゃ歩きながら前方を見据えるだけで、他には何もしなかった。あの不快な旅の骨折りは彼にはいささかこたえていた。彼の家がある空地に辿り着いたとき、彼は振り向いて私を見た。狼狽した目つきで、私が彼についてきた理由を忘れてしまっているかのようだった。そして、本当に彼は忘れていたのだ!
「何がお望みなんですか?」と彼は不機嫌そうに問いただした。
 私は躊躇した。彼の挑発的な凝視の後ろにあるものを読み取ろうと必至だった。彼の狼狽は本物だと私は自分に言い聞かせた。自分が乱酔している間に何をしたのか彼は本当に知らないのだ。そこで私はきわめて静かに口を利いた。私たちは彼の家の上がり段に立っていた。
「助けてほしいと君が私に頼んだのです」
「助けてほしい?」彼は渋面を作った。「どうして?」
「私に打ち明けたいことが、見せたいものがあるそうですね。何か悩み事があって苦しんでいるのでしょう。君が私のところに来たのは、他の人の悩みを聞くのが私の務めだからです。そして、できることなら悩みから抜け出す方法を示すことが」
 ずいぶん長い間、彼は私をまじまじと眺めていた。まるで本に印刷された問題を調べて、与えられた解は正しいものなのだろうかと訝っているかのようだった。彼は片手を持ち上げ、ぼさぼさになった髪を眼から掻き上げた。そして拳骨を噛みながら私をずっと凝視していた。小さな子供が忘れたことを思い出そうと一生懸命になっているみたいだった。ついに彼は微笑み、先頭に立って家の中に入っていった。
 その時から彼は態度を変えた。召使のメネガイが私たちの近くに立っていたが、彼はメネガイの方を向き、私たちを二人きりにしてくれといった。それから彼は静かに手振りをして、着席するよう私に促し、別の椅子を私の正面に引き寄せた。彼は前屈みになって私をしっかりと見据え、しまいに言った。
「僕が何者か御存じですか、神父さん?」
「正直にいうと」と私は返事をした。「わかりません」
「いや、そういう意味じゃありません。ピーター=メイスは僕の本名です。僕が言いたかったのは、僕がどんな人間かということですよ。僕の身分は何か?」
「知りたいと思っています」と私は彼にいった。「そうすれば、君の力になってあげられるかもしれませんから」
「ああ、なってくださるかもしれませんね。でも僕は信心深くはありませんよ、神父さん。僕はそんな風には神を信じません。違うことを知りすぎているもんですから」
「話してください」と私は穏やかに頼んだ。
 そして彼は話した。
 彼の名前はピーター=メイスだ。私がその名前を聞いたことはあっただろうか? ニューヨークやフィラデルフィアでは彼の名前にどんな意味があるのか知っているだろうか? 知らない? まあ、どっちにしろ南洋では名前など大した意味がないのだ──そういいながら彼は気怠げに微笑した。だからどうしたというのだ? 結局のところ彼の名前は重要な要素ではない。彼はニューヨークの有名な大学の医学生だったに過ぎない──4年目までは優等生だった。4年目に、詳しくは語らない方がいい講義や実験を行ったかどで追放されたのだ。
 一人の少女がいた。愛らしい娘だったが、街角に立って身をひさいでいた。モーリーン=ケネディというのが彼女の名前だった。彼女は彼を愛していた。
「彼女は清潔で、純粋でした」と彼は私にいった。「僕たちは互いに愛し合っていました。あなたの神様の御心に叶うやり方でね。考える値打ちのあることなんて世界には他になかった。そして、あなたの神様が僕から彼女を奪ってしまったんだ」
 当時ピーター=メイスはひっそりと暮らしていた。退学になってからは家族と顔を合わせたくなかったのだ。小さく慎ましやかな部屋をヴィレッジに持っている好青年が彼と共同生活を送っていた。その青年はジーン=ラニアという名前で、美術を勉強していた。否! 芸術を創造していた!
「奴らは彼のことを笑いものにしていました、神父さん。自分たちに理解できないものは何でも笑いものにする連中ですからね」
 だが彼女は死んでしまった。影の立ちこめた部屋を死神が忍び歩いて嫌らしく睨め付け、けたたましく嘲笑った。そして?
「僕は狂いました、神父さん。今でも彼女を思うと、狂うことがあります。彼女は死んで、僕の腕の中にいました。街娼じゃないかと奴らはいいましたよ。汚れた女だと。違うんだ! 美しい人だった! 二日間、僕は彼女の亡骸の傍らにいました。彼女を愛撫し、彼女を見つめ、とうとう涙も声も枯れ果てて泣けなくなりました。ジーン=ラニアはずっと黙っていましたが、僕に食べ物と飲物を持ってきてくれました。僕の苦しみをわかってくれていたんです。一度も僕を咎めたりはしませんでした。そして、狂乱していた僕は、永遠に彼女と一緒にいることを思いついたんです!」
 永遠に? 私はピーター=メイスを見つめた。私の眼に浮かんだ恐怖の色を彼は読み取ったに違いない。彼は微笑し、身を乗り出して私の腕に優しく手を置いた。
「そういう意味じゃありませんよ、神父さん」といって、彼は首を振った。「誤解です。ジーン=ラニアは芸術家でした。彫刻家だったんです。彼と僕はお金を盗みました。そして1週間というもの彼は昼も夜も不眠不休で働き、僕が欲しがっているものを作ってくれました。それが済むと、僕らは彼女の亡骸に覆いをして、都会から遠く離れたところに持っていきました。そこでは何もかも静かで、平和でした。そこで夜の間に僕らは彼女を埋葬しました。彼女に気づいた者は誰もおらず、詮索するものもおりませんでした。彼女は街娼に過ぎなかったんです。街娼が失踪したところで、誰が気にかけるでしょう?」
 彼は私を見つめ、床を見つめた。そして長い間、再び口を開こうとしなかった。それから彼は物憂げにいった。
「あんなことはするべきじゃありませんでした、神父さん。ジーン=ラニアがしてくれたことを彼にやらせるべきじゃなかったんです。そのせいで僕は気が変になったんですから。僕の心は全能の神への憎しみで一杯になりました。そして、こういうことを研究していたものだから」──傍らのテーブルに山と積まれた禁断の書を彼は苦々しげに指さした──「僕のとるべき道はひとつしかありませんでした。僕は学びに学びました。いいですか、学び取ったんですよ。ジーン=ラニアは僕を追い出し、もう僕とかかわりを持とうとはしませんでした。ジーンが僕のために作ってくれたものと一緒に行く先々で人々は声を潜め、僕のことを気違い呼ばわりしました」
「それで」と私はいった。「このファイカナにやってこられたのですね」
 彼は頷いた。「それもまた狂気の一部です」と彼は認めた。「そこだけ別の理由でおかしくなったということはありません。全体の一部なんです。僕はあらゆる生身の人間を避けて放浪しました。彼女と二人きりにならなければならなかったんです。わかりますか?──彼女と二人きりですよ! やりはじめたことを終わらせなければならなかった! そして僕は終わらせた! 終わらせたぞ!」
 彼は突然けたたましく笑いながら私の前に立ちはだかった。私は体をすくめて彼を避けた。彼の中で生じた変容の怖ろしさが理解できた。彼の精神状態もわかった。彼は私のところにやってきたとき、その中で燃えさかっている奇妙な征服感で精神が一杯になっており、少なくとも部分的には狂乱していた。それから、押し黙ってジャングルの道を延々と歩いているうちに彼の内部の火は勢いが衰え、彼は狂乱の理由すら忘れてしまった。今や彼は自分の身の上をゆっくりながらも怖ろしく語り、たったひとつの考えに取り憑かれた野獣へと再び変容したのだ。私が縮み上がった相手は確かに正気の人間ではなかった。
「あんたに彼女を見せてあげよう!」と彼は大声で叫び、握りしめた拳で私の眼前の空気を打った。「一度あんたは二階を覗き見したことがあったな、こん畜生。あんたが見たものは命のない大理石の塊だけだった! 僕と一緒に来るんです、さあ! 信仰心の詰まった脳味噌じゃ思いもよらないようなものを見せてあげますよ!」
 彼は私の腕を掴んで私を椅子から強引に立ち上がらせた。大きく見開いた眼を私の顔に押しつけんばかりにした彼は、私の引きつった表情を見ては悪魔じみた満足を覚えていた。怯えた子供を大人が揺さぶるように、彼は私を揺さぶった。
「あんたの間抜けな信仰が人生のすべてに対する回答だと思ってるんでしょう?」といって、彼は両腕をぐっと伸ばした。「知るべきことを自分は何でも知っていると思いこんでいるんだ! ああ見せてやるよ! あんたに教えてやれることがあるからな!」
 彼は私をぐいぐいと押し、忌まわしい書物が山積みになったテーブルを通り過ぎていった。彼は荒々しく私の腕を掴み、薄暗い二階の小部屋へと続くはしごに私を無理やり押し上げた。もしも彼の手を逃れてドアに辿り着けるのであれば、私は以前そうしたように、躊躇することなく逃げ出しただろう。だが逃げ出すのは無理だった。彼は私の後を追いかけてくるだろう──私はそう確信していた──そして私を引きずってでも連れ戻すだろう。
 その時に何が起きるのかは神のみぞ知ることだった。
 私が上っていくと、はしごは危なっかしく撓った。慎重に上っている余裕はなかった。
もしも私が立ち止まろうものなら、彼は下から私を小突いて細いはしごを無理やり上らせようとしただろう。そんなことをすれば、二人とも下の床へ真っ逆さまに落ちてしまうかもしれない。私が身体的な危険を懸念しているのは、おかしな話だった。これから出くわすかもしれない精神的な恐怖の方を1000倍も強く怖れるべきなのに! だが天井の開き口をようやく通り抜け、その向こうにある部屋の床を手探りしつつ踏みしめた後でも、私には最初その恐怖が見えなかった。ピーター=メイスが手を上げて出し抜けに擦ったマッチの炎も、私と対面しているものを初めは明らかにしてくれなかった。
 そのとき私は見て、後ずさりした。あまりにも勢いよく動いたので、背後の壁に使われているニッパヤシの垂直材に体をぶつけてしまったほどだった。ピーター=メイスは前に進み出て小さなテーブルのところに行き、そこに立てられている蝋燭に火を灯した。その蝋燭は──自家製の粗末なもので、ぞっとするような輝きを放ちながら燃えていたが──ぱちぱち、しゅうしゅうという音を立てつつ室内に光を溢れさせた。
 その部屋は屋根裏部屋だった。小さくて家具もなく、居心地が悪かった。中背の男が直立して手を伸ばせば、易々と天井に触ることができた。壁と床はひどく粗末な作りだった。木で作った上に、粗雑に編んだニッパヤシのむしろが敷いてある。たったひとつの窓しか見えなかったが、それも汚い木綿の紐で塞いであった。そして向こう側の壁を背にして、私をまっすぐ見つめながら、私が前に覗き見ようとしたものが座していた。蝋燭の明かりに絶えず照らされながら、そのものは私と向き合っていた──今度はその細部まではっきりと見て取ることができた。
 そのものは女性だと私は前に述べた。女性だった。今、ほとんど生きているかのような眼差しに魅せられながら、それの方に恐る恐る歩み寄って、私はその尋常ならざる完璧さに驚嘆の念を禁じ得なかった。ジーン=ラニアがこれを作ったのだとすれば、ジーン=ラニアは真の芸術家だった! その女性は大理石の像だったが、たいそう繊細かつ巧妙に彫刻されていたので、間近で見ても生身の人間と見まごうほどだった。彼女は裸で、瞑想の姿勢で座していた。両手を差し出し、前にも見たことのある金属の大皿を捧げ持っていた。
私は彼女の異様なまでの愛らしさに感嘆しながらも、彼女がそこに座っている姿には何か怖ろしいものがあるということを直観的に察知した。何かが間違っていた。
「これが」私はゆっくりとピーター=メイスにいった。「君の愛した女性なのですね? この娘がモーリーン=ケネディなのですか?」
 彼は笑った──凶暴でもなければ勝ち誇ってもおらず、たいそう穏やかな笑い方だったので、私は出し抜けに振り向いて彼を見つめた。私に向けられた彼の微笑は、己の犠牲者よりも多くを、ずっと多くのことを知っている人間の微笑だった。
「彼女は僕の愛する女性になることでしょう。僕がやり終えた暁には」と彼は返事をした。
 そして大理石の像へと歩み寄り、彼女の肩に手を置いて顔を覗きこんだ。まるで彼女には彼が理解できているかのようだった。
 そのとき、私は勘違いをした。ついさっき私にはしごを無理やり上らせたときよりは彼の狂乱が治まっているものと思ってしまったのだ。私は彼の腕に手を置いて静かに話しかけた。
「ねえ君、これは良くないことですよ。君の友人はこんな偶像を作って、君に崇めさせたりするべきではなかったんです。モーセの十戒は私たちに教えてくれています。私の他に神があってはならないと」
 彼は私の手を振りほどくと、猛々しく私の方に向き直って私を睨みつけた。彼の握りしめた拳が私の顔をめがけて飛んでくるものと私は覚悟した。そのとき彼は後ずさりして微笑した。彼はゆっくりと歩いて、私のいるところを通り過ぎ、床の開口部へ行った。そして屈みこみ、どっしりとした四角い木の板を引きずって開口部にかぶせ、それについている革紐で正しい位置に固定した。同様に慎重な態度で彼は向こう側の壁に行き、そこに立てかけてあった椅子を掴んで部屋の真ん中に据えた。その椅子の後ろに立って、彼は平静な口調で言った。
「ここに来て、お座りなさい」
「私はここにいたくはありません」と私は返事をした。
「ここに来て座るんです」
「なぜ?」
「なぜって、僕がそういっているからですよ! あんたの間抜けな神様がここにいるんなら、彼はあんたの隣に座るんです。あんたか神様がどっちかが拒めば、僕はあんた方を両方ともぶっ殺してやる」
 私は躊躇した。彼は身じろぎもせずに佇み、待っていた。私はのろのろと彼の命令に従った。私が椅子に腰を下ろしたとき、私の手は膝の上でぶるぶると震えていた。
「ここに座って、見ていなさい」と彼は命じた。「何も喋るんじゃありませんよ。僕にはしなきゃいけないことがある。邪魔されるわけにはいかないんです。禁じられたものを見たという理由で、あんたのバカな神様があんたを殴り倒したりしなければ、この女性を僕のために作ってほしいと僕がジーン=ラニアに頼んだ理由がじきにわかることでしょう!」
 さて、語らずにおいた方がよさそうなことを私は詳しくお話ししなければならない。こんなことを書き記そうものなら、厳しく糾弾されることになるかもしれない。あるいは、糾弾されるだけでは済まないかもしれない──あなた方も、これを読んだ報いを受けなければならないかもしれないのだ。だが、それでも語らねばなるまい。狂気に駆られてピー
ター=メイスの志を継ごうとする者がいつの日か現れないとも限らないし、そういう人たちを救わなければならないから!
 ちらつく影で一杯の小部屋の中で、私はその場に腰を下ろした。私と向かい合って座っているのは、あまりにも愛らしい女性の大理石像だった。出入口は閉ざされており、ひとつしかない窓は塞がれていた。不吉な想念と邪悪な陰謀に充ち満ちている部屋の中で、ピーター=メイスとその女性と私は3人きりだった。そして、私が居合わせているのを完全に無視して、若者は不浄な作業を続けた。
 壁に設けられた小さな区画のところに彼はまず行き、そこから何冊も書物を取り出すと、そのうちの一冊をテーブルに持ってきた。彼はその本を熟読して慎重にページをめくり、探し求めていたものを見つけ出すと静かに音読しはじめた。彼の唇が動いて言葉を発するのが見えた。瞬きもせずにページを見つめる彼の眼に恐るべき熱心さが宿っているのがわかった。蝋燭の炎の輝きに照らし出されながら、彼は身じろぎもせずに佇んでいた。体を前のめりにして頭を垂れ、テーブルの上に置かれた手は関節が白くなるほど握りしめられていた。それから彼は背筋をまっすぐにし、ゆっくりと体の向きを変えて、あの女性の方へ歩み寄った。
 女性の足下に柔らかな革の小袋が置いてあった。そこから彼は小さな黒いものを取り出し、女性の大理石の唇にあてがった。はじめ私はそれを十字架だと思ったが、自分の誤りに気づいて震え上がった。それは逆十字で、そこに刻まれている顔はいやらしく睨みつける魔神の顔だった。生命を持たない女性の両手が彼に向けて差し出している金属の皿に彼は注意深く逆十字を入れた。同様の慎重さで彼は小さなガラス瓶を手に持ち、粘性のある黒っぽい液体を皿に注ぎ込んだ。朧気な光に照らされて、その液体は鈍く光った。それからマッチが擦られて明るく燃え上がるのが見え、出し抜けに皿から青白い炎が立ち上った。
 ゆっくりと彼は跪いた。私の方を見ようともしなかった。私がいることなど意識していなかったのかもしれない。彼は跪いて女人像の顔を見つめ、哀願するかのように両腕を挙げた。ほとんど聞き取れないほど低く単調な声が彼の唇から発せられ、さながら彼は祈っているかのようだった。
 現に彼は祈っているのだろうと思って、私は彼への哀れみで心が満たされた。私は彼の苦しみを軽んじなかった。彼の孤独を理解した。その時、彼が呟いている言葉が聞こえた──はっきりとわかったのだ──そして、私たち二人を許してくださるよう慈悲深き神に祈ったのは私の方だった!
 黒ミサについてお聞きになったことはあるだろうか? その忌まわしい意味に気付いておられるだろうか? ならば、ピーター=メイスの魂に潜んでいた狂気の度合がおわかりいただけるはずだ。そして彼が呟いていた呪いが誰に向けられたものであったかもおわかりいただけるだろう。
 だが、それだけではなかった。私は彼の意図の非道さを朧気に理解した。そして耳を傾けるにつれて、ゆっくりながら確実に、この上ない恐怖の虜となった。彼を制止するだけの勇気を奮い起こせなかったことで、あの日から1000回も私は己を責めたものだ。私が椅子から飛び上がって彼につかみかかれば、彼は後でそのことを私に感謝したかもしれない。自分の座っている椅子をひっつかんで彼に投げつけなければならなかったとしても、そのような暴力を働いたことで非難されはしないだろう。なぜなら若者は狂っていたのだから。彼が請うていたのは破滅だった。
 だが私はそこに座ったまま彼を見つめるばかりだった。体は強張り、眼は大きく見開かれ、こめかみはずきずきと脈打っていた。私はおののきながらも魅せられていた。そして神よ救いたまえ、彼のしたいようにさせてしまったのだ。
 あの言葉は未だに聞こえる。薄暗い部屋に独りで座っていると、いつでも聞こえてくるのだ。同じ単調な詠唱となって私にささやきかけてくる。私の脳髄に刻み込まれているのだ。
「時は夜なり、ベツムーラよ。時は夜なり、我らが聖域の外は昼にて陽が照りたれど。黒きハリの湖畔を我が歩むとき、我が言葉を聞き入れたまえ、ナイアーラトテップよ。我の申すことを聞き届けたまえ……一語一語……地より生まれしものどもは、黒き王への拝謁を命じよといわざるを得ざれば。我が言葉を聞き入れたまえ……天は芸術に……天は芸術に……黄の印は我が願いの祭壇にて燃え上がり、彼女は眼を開きて再び我がものとなるべし。我らを名づけしものよ、称えられてあれ! 御身への言葉なり、おおユゴス、おおイアン、おおハスター、悪の貴公子よ! 彼女を我に与えたまえ。御身の犠牲を命じたまえ。名づけられざる大いなるものの御名にかけて……這い寄るものどもが不可視に潜み、彼らを飛翔させる黒き翼を待つ夜の井戸を通じて……無限の奈落の赤き汚濁にて生まれし無頭
のものどもの名にかけて……生ける彼女を我に与えたまえ、ハスターよ。彼女を我が腕に抱かしめたまえ、ユゴスよ! 我が言葉を聞き入れたまえ。おお諸帝の帝ナイアーラトテップよ!」
 これらの言葉は狂人の精神から生まれ、人類には禁じられた恐怖をおぞましくも暗示するものだった。それが、あの忌むべき部屋で私と共に座っていた若者の唇から転がり出てきたのだ! これらの他にも言葉があった。だが、他の言葉は私には聞こえなかった。なぜなら私は刺し貫かれた人間のようになっており、大理石像のように硬直して真っ直ぐに座っていたのだから。否、否──大理石像のようにではない! あの像はもはや真っ直ぐでもなければ、硬直してもいなかった! 私たちのいる部屋に暗黒がやってきた──命ある邪悪な暗黒が蝋燭の黄土色の輝きを覆い消そうとした。そして私の眼前では青白い女人像がうごめいていた。怖ろしくもゆっくりと左右に身を揺すり、その差し伸べられた両手は金属の皿を振り子の如くあちこちに動かしていた。そして皿の中の青い炎は生きている火の舌となって揺れ動いた。
 ピーター=メイスは呟くのを止めた。別の声が聞こえた。低く震える声で、始まりも終わりもない言葉を話していた。長く奥深い管を通して発せられたかのように、音節が単調に生じた。黒衣をまとった邪教の祭司によって唱えられたかのように、汚れた部屋の隅々まで詠唱が行き渡った。
 私たちはもはや二人きりではなかった。私たちを取り巻く暗闇には影が、無名のものどもが潜んでいた。それらは形状も実体もなく、それでいながらそこにいた! 祈りを捧げて哀願するべき時だった。だが防御してくれるに足りるだけ強力な祈りを私は知らなかった。私たちは祈る権利を失ってしまっていたのだ! ピーター=メイスは邪なことを企て、暗黒の奈落から四大霊を招喚していた。人間の口から発せられた祈りを聞き届けてくれる最強の存在との霊的な交わりが彼の冒涜によって確立された。そして、こんなことを語る私はジェイソン神父、宣教師なのだ!
 私は跪いて両手を挙げたが、私の口からは何の言葉も出てこなかった。喋ろうとしたのだが、言葉は喉につかえたまま消えてしまった。私の周りでは地獄の暗黒がうごめき、魔霊の姿形が凝集しつつあった。私の眼前では若者がふらふらと立ち上がり、酔漢のように立っていた。まるで己の罪の非道さに打たれたかのようだった。だが私がとりわけ眼にし、その後幾晩も怖ろしいほど明瞭に思い出したものは、大理石の女に生じていた変化だった!
 神よ救いたまえ、あの顔にじっと見入ってしまうとは! ごく普通に見開かれていた双眸は苦痛のために瞠られていた。唇は形が崩れ、顔は見る影もなく歪んだ灰白色の仮面となっていた。女人の全身がくまなくうごめき、おぞましいながらも痛ましくもがいては大理石の桎梏から自由になろうとしていた。彼女はもはや死んではいなかった! もはや石像ではなかった! 彼女の硬直した体には生命が注ぎ込まれていた。そして今や彼女は地獄じみた身体的苦痛の直中で闘い、あの呪われた力を吸収して、完全に生きた存在になろうとしていた!
 てんかんの患者が発作を起こすところを御覧になったところがあるだろうか? 彼女の様子はそれに似ていた。彼女は立ち上がろうとあがいていた。持っている金属の皿から両手を引きはがし、眼前に立っている若者を抱擁しようと苦闘していた。怖ろしくもゆっくりと、胸と腰を発作的によじりながら、彼女は彼の方を向いた。苦悶しながら彼女は彼の顔を見つめ、助けを乞うていた。喋ろうとしたが、それは無理だった!
 そして若者は彼女を見つめ返した。彼は眠りながら直立している人間のようだった。彼女の苦悶を理解してもいなければ、経帷子のごとく自分にまとわりついている忌むべき暗黒に気づいてもいないようだった。ゆっくりと機械的に、抗うことのできない命令に従うかのように、彼は彼女の方へと歩み寄った。押し黙って彼は彼女の顔を見つめた。その時、彼は静かに喋るのが聞こえた。何かを朗読しているかのように平静な声だった。
「まだです。まだ駄目なんです。これで5度目です、ハスターよ。まだ5度目に過ぎません、諸帝の帝よ。一回ごとに苦痛は大きくなっていきますが、命も強まります。7度目になれば苦痛が死を破壊し、命は完璧なものになると約束してくださいましたね。僕は辛抱することにします。待たされても満足です。待てば海路の日和ありと申しますから」
 彼は慎重に両腕を差し伸べた。彼の両手が合わさり、金属の皿に置かれた。青い炎が掌中に食い入ってきたとき、彼の両眼が閉じられて唇が蒼白になるのが見えた。だが彼はその場に立ちつくしたまま、いかなる音も発しようとはしなかった。一瞬で彼は引き下がり、青い火はもはや生き物ではなくなっていた。儀式を行うかのように彼はゆっくりと跪き、生きながら死んでいる眼前の女性の体に両手で触れた。彼女の顔からは苦悶の色が消え去っていた。彼女の苦闘は止んでいた。彼女は元通りの石像になっていた。動かず、命を持たない。彼は──彼は頭を垂れて彼の聖像の足許に跪いていた。跪いて祈っていたが、人類の神ではなく、彼の魂を支配している邪神たちに祈っているのだった。彼がそこに跪いて哀訴していると、部屋からは影と音が消えてなくなり、彼と私と女人は以前のように三人きりになった。自分は魂を恐怖で黒々と染め上げられ、禁断のものを目の当たりにしたせいで眼がくらんでいると知った私は床の開き口の方へ静かに這っていった。そして開き口を覆っていた正方形の木の板をどけ、ゆっくりと慎重にはしごを伝って1階に下りた。
 私が足音を忍ばせて戸口に向かうときも、頭上にある神秘の部屋からは何の音も聞こえてこなかった。私がピーター=メイスの家から出て行くときも音は一切しなかった。ジャングルの縁に辿りついて振り返ると、二階の部屋の塞がれた窓の後ろに黄色い灯火の輝きが見えただけだった。ピーター=メイスはまだそこにおり、卓上に置かれた粗末な蝋燭が部屋の不浄な内容に無垢な光を投げかけている間も相変わらず跪いて祈っているのだということがわかった。
 沈鬱な思いを抱いて、私はのろのろと立ち去った。

 その日から物語の大詰の日まで、私はピーター=メイスに会わなかった。実をいえば、会いたくなかったのだ。私の顔に血の気が戻り、私の手の震えが止まるのには時間がかかった。その晩、我が家に辿りついた私はドアを閉めて閂をさすと、死人のように座り込んで床を見つめた。気分が悪く、ジャングルを通り抜けてきたせいで疲れ果てていた。自分が関わりを持った禍々しい出来事で頭の中がいっぱいだった。神罰が怖ろしかった。もっと悪いことに──恐怖はまだ終わったわけではないということがわかっていた。私の頭の中では若者の言葉が何遍も鳴り響いていた。
「7度目になれば苦痛が死を破壊し、命は完璧なものになるだろう。僕は辛抱することにします。待てば海路の日和ありと申しますから」
 否、ジャングルの中にあるピーター=メイスの家に私は戻らなかった。戻るのが怖ろしかった。彼が怖ろしかったし、あの恐怖の家に彼と一緒にいる暗黒界の住民たちも怖ろしかった。原住民たちが私のところにやってきて、あの若者は頭がおかしいという話をしたが、今度は私も事情に通じていたので彼らの話を誇張と決めつけはしなかった。
 しまいにメネガイがやってきた。眼を大きく見開いて怯えきった彼は私の家の戸をどんどんと叩き、入れてほしいと頼んだ。9日目の夕方のことで、メネガイの顔に浮かんでいる表情を見ると、私は鎮まっていた恐怖が表に浮かび上がってきた。私はドアを開け、彼を入れてやった。そして戸を閉め、ビンロウジで染まった口で彼が喋る金切り声の言葉に耳を傾けた。
「神様!」と彼は泣き叫んだ。そして金切り声を上げたり口ごもったり囁き声になったりしながら、自分の母語で話をした。紛う方なき恐怖の色が彼の眼には浮かんでいたので、彼の言葉が真実であることがわかった。
 1時間足らず前のことだった。メネガイは主人の家におり、床に敷かれたニッパヤシの敷物に座っていた。ピーテメ(ピーター=メイス)はいつものように本を読んでおり、テーブルに肘をついて、字が印刷されたページの上に俯いていた。いきなり、一言も喋らずに、彼は椅子を後ろに押しやって立ち上がり、二階の部屋へと続く梯子を登っていった。
 メネガイは怖くなった。主人が秘密の屋根裏部屋にいくといつも変なことが起きるのだった。二階の部屋から戻ってきたピーテメは様子がすっかり変わってしまう。頭がおかしくなるのだ。トゥアックを飲んで酔っぱらった人か、愛の踊りを長く眺めすぎて色情狂のようになるのだった。
 そして今回も例外ではなかった。やがて二階の部屋から意味不明な音が聞こえてきた。
くぐもった声が聞こえ、詠唱じみた別の声がそれに唱和した。音はますます大きくなっていき、ずいぶん長い時間が経ってから女性の叫び声になった──少女が生きながら八つ裂きにされているかのような怖ろしい悲鳴だった。そしてピーテメの金切り声がした。勝ち誇った怒鳴り声で、次のように何度も叫んでいた。
「7度目は近い! 6度目の試練が終わった! おおハスターよ、我が言葉を聞き届けたまえ! 6度目の試練は終わった!」
 メネガイは怯えて震えながら、ドアの近くにうずくまった。主人が勝ち誇って大声で怒鳴ったことは今まで一度もなかった。あの怖ろしい部屋にいる女人があんなに苦しんで悲鳴を上げたこともなかった。彼女が叫んだこと自体が一度もなかったのだ。どうして叫んだりできよう? ある日の午後、メネガイは勇気を奮い起こして主人の禁じられた秘密の部屋を覗きこみ、自分の眼で彼女を見たのだ。彼女は石の女だった。どうして石の女が悲鳴を上げられるだろうか?
 メネガイは恐れおののきながら、主人が梯子を下りてくるのを待った。しばらくしてピーテメは降りてきた。よろめきながら、ぶつぶつと独り言を呟いていた。メネガイは後ずさりして彼から離れ、彼を見つめた。ピーテメは体を強張らせて突っ立ち、目を狂おしく血走らせて見つめ返した。そして、いきなり彼は悪鬼のようになった──麻薬に酔って人を殺めようとする化物のようだった。怖ろしい唸り声を上げながら、彼は飛びかかってきた。
「こん畜生!」と彼は吠えた。「この忌々しい島の連中はみんな同じだ、貴様も同じだ! 僕が狂っていると思っているんだろう! 僕のことをこそこそ探り回り、笑いものにするために来たんだな! 神かけて、物見高い連中に何が起きるか見せてやるぞ! 何もかも見せてやるんだ!」
 メネガイが逃げおおせたのは奇跡としか言い様がない。ニッパヤシの敷物の縁がピーテメの足許でめくれ上がり、彼を躓かせたのだ。メネガイはドアを開け放ち、悲鳴を上げながら敷居を飛び越えた。ピーテメは彼の背後から掴みかかってきた。だがメネガイがジャングルに辿り着いたのが先だった。そしてジャングルの中で、ピーテメが追ってこない隠れ場所までメネガイは逃げていった。
 そして今やメネガイは私の家におり、庇ってほしいと乞うていた。もう24時間もしないうちに、ピーター=メイスと石の女人がかかわっている忌むべき出来事は怖ろしくも終局に達するだろうと私は察知した。私は正しかった──だが、その24時間が経つ前に別の出来事が起きた。
 私は自宅のベランダに佇んでいた。また朝になり、血のような緋色の球体となった太陽が礁湖の青い水から昇ってくるところだった。メネガイは、村にある自分の小屋へと引き上げていった。私は一人きりだった。
 初め、私が見たものは地平線の彼方にある灰色の点だった。あまりにも小さな点だったので、それは点などではなく私の想像に過ぎなかったのかもしれない。私は両手を眼の上にかざして眺めたが、赤い太陽を見つめたせいで眼がくらんでおり、差し当たっては緋色の輝きしか見えなかった。それでも、その点は存在しており、その正体がわかった──船だ。
 後ほど私はその点を再び見た。見つめながら立っていると、メネガイが道を走ってきた。興奮した面持ちで彼は指さし、盛んに身振りを使った。
「スクーナーです、神父様!」と彼は叫んだ。「スクーナーがこの島に来たんです!」
 その通り、スクーナーが来たのだった。だが、なぜ? ファイカナに何らかの用がある不定期商船などあるのだろうか? 最近4年間で私たちの孤島に立ち寄った船は一隻だけで、その船がピーター=メイスを連れてきたのだ。恐怖と不幸を、狂人と石の女を連れてきた船だった。今度の船も似たような荷を運んできたのだろうか?
 私はメネガイの熱心な質問に何も返事をしなかった。外界からの使者が新たにやってきたことを心中では怖れていたのだ。メネガイは私の顔を覗きこんで考えを読み取り、お喋りを止めた。狼狽して彼は私のもとを辞去し、浜辺へと急ぎ足で降りていった。彼がいってしまった後も私は長々と立ち続けた。近づいてくる船が最後の瞬間に進路を変更して再び立ち去り、私たちをそっとしておいてくれないものだろうかという見込みのない希望を抱きながら見つめていた。
 2時間後、スクーナーは礁の外に停泊した。そこから岸まではかなり近かったので、浜辺にいる私たちには船の名前が読み取れた。その船はベラ=ゲイル号だった──ピーター=メイスをファイカナに連れてきたのと同じベラ=ゲイル号だった。私たちが凝視している最中に、小舟が礁の出入口を通り抜け、私たちの方にゆっくりと近づいてきた。たちまち私はブルック船長のひげ面をじっと見つめながら、彼が私の方に突き出した汚い手を握っていた。そして、取り憑かれたような自暴自棄の光がブルック船長の眼に宿っているのは、いかなる怖ろしい出来事があったせいなのだろうかと私はその時ですら不思議に思っていた。
 それはすぐにわかった。前置き抜きでブルックはぶっきらぼうにいった。「神父様とお話しがしたいんでさ。二人きりで」
 私たちは連れ立って私の家に入り、家の外に群がっている物見高い原住民たちの鼻先でドアを閉めた。私たちはテーブルを隔てて向き合い、ブルックは話を始めた。
「船に女をひとり乗せてあります、神父様」と彼は顔をしかめた。「どうぞ、わしのことを気違いだといっておくんなさい。あんたは気違いだと彼女にいってやっておくんなさい! ベラ=ゲイルみたいな油虫だらけのボロ船に乗り込んでくるほどバカな女は精神病院に放り込んでやらなきゃいけません。この女はどのみち病院行きでしょう。彼女はおかしいんでさ」
 彼はポケットから瓶を引っ張り出し、まず私に差し出してから瓶に口を付けて飲んだ。咽せながら彼はコルク栓を乱暴にねじ込み、前に乗り出してテーブルに両肘をついた。
「わしがあの若造をここに置いて戻ると、パペーテで彼女が待っておりました」彼はぶつぶつと言った。「わしらが碇を下ろすなり、ハーランの奴が──パペーテの支配人でさ──彼女を乗船させたんです。奴はわしを紹介し、念入りに点検をして、わしが素面であることを確かめました。それから言ったんです。『よし、ブルック。おまえさんはラリオア
に戻るんだ。おまえさんがそこで降ろしてきた青年を、この御婦人が探しておられるんでな』
「ええ、わしは彼女を連れてきましたよ。でも、天に誓っていいますがね、彼女はおかしいんでさ。わしが彼女を連れて戻ってくれば、御自分でもおわかりになることでしょう。服装と来たら喪服みたいで、一日中ずうっと真っ黒な衣装なんです。しかも爪先まで黒いベールをかぶってる。彼女がどんな風に見えるかって? わしに聞かないでくださいよ!
 わしは腐ったスクーナーでほとんど10日間も彼女と一緒にいたんですぜ。ここからパペーテに直行したんでさ。それで、彼女がどんな顔をしてるか未だに知らないんです! 彼女は必要なとき以外は喋らないし、一度に三言より多くは喋りません。お助けを! それに彼女は変なんだ。気味が悪いんですよ。お話ししたでしょう?」
 ブルックは私の腕に手をかけてテーブルの上にますます身を乗り出し、他の人間に聞かれるのを怖れてでもいるかのように声を潜めた。私は彼の眼を観察し、そこに恐怖の色を見て取った。真正の恐怖であり、彼の眼に宿って久しいものだった。
「それがこのラリオア行きの顛末なんで、神父様」船長はぼそぼそと言った。「わしがあの若造をラリオアに連れて行ったものとハーランは思ってましたから、女の方もそこに連れて行けといったんです。わしが若造をファイカナで降ろしたことは知らなかったんでさ。
奴には知らせてなかったんです。そんなことをすれば、若造がわしに払ってくれた金を寄こせというに決まってますから。あの金はわしのものにしておきたかったんです。それで、わしはパペーテを出航するとラリオアに向かいました。だって、ハーランから言いつけられたのはラリオア行きなんですぜ、そうでしょ? 彼女をラリオアに連れて行けといわれたんだ。ところが3日もしないうちに彼女がやってきて言うんです。『私をピーターのところに連れて行ってくださる気はないのね』本当にそういったんですぜ、神父様! 一体全体どうやって彼女はピーターの居場所を知ったんですかね?」
 私は彼を見つめた。彼の眼に浮かんでいた恐怖の色がいくらか私の眼にも移ってきていたに違いない。彼は得意満面で私を見つめ返した。
「彼女は人間じゃないんです、本当ですぜ!」と彼は出し抜けに言い出した。「見るからに人間じゃねえや! 歩き方は眠っている最中みたいだし、喋り方はまるっきり抑揚がなくて、疲れているみたいな感じなんです。天に誓って言いますがね、わしは金輪際あの女とはかかわりたくないんでさ、神父様! わしはあの女をここに連れてきました。ここに置いていきますよ! これからは神父様にお任せします。この手のことはわしより神父様の方が扱い慣れておられるでしょうからな」
「あなたは彼女をここに連れてきた」私はゆっくりといった。「そうしないのが怖かったから?」
「怖かったからですと!」彼は怒鳴った。「言わせてもらいますがね、彼女があの眼でわしを見て『私をピーターのところに連れて行ってくださる気はないのね』といったとき、わしは彼女を裏切るような真似をしないだけの分別があったんでさ! わしは彼女をピーターのところに連れてきたんだ!」
 それで船長の話は終わりだった。ブルックは重そうに腰を上げ、ふらふらと立ちながら、再びウイスキーの瓶から飲んだ。彼は私を睨みつけ、ドアを開けながら、酔っぱらった笑い声を上げた。
「彼女に会わせて進ぜましょう」と彼はいった。「わしは言いつけられたとおり彼女を連れてきたんだ。あの女をどうするかは神父様次第ですぜ」
 そして彼は出て行った。
 恐怖と懸念の入り混じった感情を覚えながら、私は彼の帰りを待ち受けた。どういうわけか、自分で浜辺まで降りていく気にはなれなかった。私は家の中に閉じこもったまま思いを巡らせる方を選んだ。だが、薄暗い部屋から出た方がよかったのかもしれない。陽光の降り注ぐ戸外では、私の夢想はもっと明るいものになってくれたことだろう。
 この女性はいかなる人なのだろうか? ひょっとして、ジャングルの中に罪の家を建てて住み着いた若者の妹だろうか? 彼が後に残してきた死せる恋人の縁者だろうか? 私は訝った。そして訝りながら、気がつくと彼女の姿を想像していた。無意識のうちに、ブルックの描写がその想像図に影響を及ぼしていた。私が思い浮かべた女性は無骨で無様な黒衣の尼僧で、言動の奇矯な人だった。10分後に私が対面した女性とは似ても似つかなかった。
 ブルックがしわがれ声で挨拶するのが聞こえたので、私は驚いて夢想を止め、神経質にぐいとドアを開けた。そこに彼女がいた──すらりとした優美で、この上なく愛らしく、私が思い描いていた姿の対極にあった。静かに彼女は船長の後について階段を上った。気後れすることなく彼女は私と向き合い、ブルックはぶっきらぼうに言った。
「こちらはジェイソン神父です。この場所を切り盛りしておられる方です」
 その女性は頷いた。彼女の姿をすっかり覆い隠している不透明なベールの後ろで、双眸が私を見つめた。彼女は25歳くらいで、それより年上ということはなかった。慎重に彼女は室内を見回した。ほとんど機械的に私の傍らを通り過ぎ、椅子に身を沈めた。奇妙なほど単調な声で彼女はいった。
「疲れましたわ。長旅だったもので」
 彼女は疲れていた。彼女の顔は隠されていて見えなかったが、私は疲労困憊の色を感じ取った。突如として彼女は身動きする力をなくしてしまったかのようだった──生命力そのものを失ってしまったかのように見えた。彼女は完璧なまでに静かに座り、まっすぐ前を見据えていた。おかしなことに、彼女は瀕死の状態なのだと私は思った。
「あなたは──ピーターに会いに行こうとしておられるのですか?」私は優しく言った。
「ピーター?」と彼女は囁き声で言い、ゆっくりと頭を上げて私を見た。「ピーター? ええ。少し経ったら」
 私は彼女をしげしげと眺めた。間違いなく、この女性はピーター=メイスを愛しているのだった。さもなければ、これほどまでの苦難を乗り越えて彼を探しに来たりするはずがない。彼女がピーター=メイスを愛しているのであれば、彼の助けになってやれるだろう。彼には助けが必要だ。彼の近くにいてくれる人が、彼にとって愛しく思える人が必要だった。彼に話しかけ、彼がしているのは怖ろしい邪悪なことだと納得させてくれる人が必要だった。彼女にそれができるのであれば、彼女がやってきたのは無駄ではなかったということだ。
「お休みになったら」と私は静かに言った。「彼のもとへお連れいたしましょう。まずは眠られることです。道は長いですから」
 彼女は微笑んだ。知るべきことを知らずにいる私を憐れんでいるかのようだった。
「ええ」と彼女はいった。「長い道のりですのね。ジャングルの中を歩くのでしょう。存じておりますわ」
 そして彼女は眠りについた。

 私たちがピーター=メイスの家を目指して出発したとき、すでに日が暮れていた。私たちは二人きりだった。ブルック船長は1時間以上も前に立ち去っており、彼女とは二度と関わり合いになりたくないと言い捨てていった。そして、自分が「ファイカナの忌々しい浜を踏むことが二度となかったとしても」自分としては一向にかまわないとも言っていた。
子供っぽい好奇心を満足させようと家の周りに群がっていた原住民たちは退屈してしまい、村へと引き上げていった。あの怖ろしい結末を迎えることになった行路に私たちが取りかかったのを見た者は誰もいなかった。
 だが、私はその時点では結末のことなど夢想だにしていなかった。ジャングルの中の一軒家に一人きりで暮らしているピーター=メイスのことを私は考え、彼の助けとなってくれる女性を神が送ってくださったことに感謝した。確かに彼女は謎めいていた──それに一度も自分の名前を言おうとしていなかった──だが私は希望に満ちており、彼女を案内してジャングルの小道を歩いていく間、奇妙な自信に支配されていた。ジャングルは死のように黒く、不吉な形や音で一杯だったが、それでも私の胸の高鳴りは止まなかった。四方八方に危険があるかもしれないということは考えないようにした。私は怖れることを拒んでいたのだ。慈悲深き神がこの女性をファイカナに送り届けてくださったのだし、同じ慈悲深き神が彼女をその探求の終わりまで安全に導いてくださることだろう。
 彼女もまた怖れていなかった。彼女は慎重ながらも勇敢に私の後についてきた。喋ろうとはしなかった。黒々とした沼地が広がっている中を通り抜けたり、バンヤンの巨大な切株を乗り越えたりするのを手伝うために私が何度か振り返ると、彼女は一言も発せずに微笑んで私の手を取るばかりだった。
 そして、とうとう私たちは道の終わりに辿り着き、空地に足を踏み入れた。そこにピーター=メイスの家があり、私たちの目の前にぼんやりと見えていた。そして、初めて疑念が私の心を捉えた。
 その不気味な建物についている明かりはひとつだけだった──二階の部屋の塞がれた窓の後ろに、弱々しい黄色の明かりがひとつあるだけだった。ゆっくりと私たちは家に向かって歩いていき、ベランダの階段を上るときは歩調をさらに遅くした。私はおずおずとノックしたが、返事はなかった。ドアの掛け金を探りながら、私の手はぶるぶると震えた。ドアが開き、私たちは押し黙って足を踏み入れた。
 その暗闇の中で女性と私は並んで立っていたが、二人とも喋ろうとはしなかった。天井から部屋の片隅に弱々しい光が射しており、梯子のてっぺんや、その横の壁のでこぼこした表面を照らし出していた。天井の開き口は閉じていた。頭上の部屋からは、低く抑揚のないピーター=メイスの声が聞こえてきた。その言葉を聞くと、突如として私の心に恐怖が芽生えた。
 それらの言葉をここで繰り返す必要はないだろう。あの恐怖の部屋で執り行われている儀式のことを私はもう詳細に説明した。今回その恐怖は頂点に達しつつあったとだけいえば充分だろう──人にあらざるものの唇から生じた別の声は甲高いクレッシェンドとなって、怖ろしくもゆっくりと高まり、若者の喉から発せられた冒涜の言葉をかき消さんばかりだった。ベールをかぶった女人と私が身じろぎもせずに立っている間も、それらの音は高まって力強い咆吼となり、自分たちの勝利を絶叫していた。それと共に、悶え苦しむ女性の甲高く怖ろしい叫喚が聞こえてきた。
 魂の中に芽生えていた恐怖に自分が屈してしまい、あの邪悪な場所から逃げ出していれば良かったのにと今では思っている。一緒に来た女性の腕を掴み、彼女を引きずってでも戸口から連れ出せば良かったのに。そうする代わりに、私は根が生えたかのごとく床に立ちつくしていた。私は体を硬直させて突っ立ち、自分の頭上で延々と吼えている狂気の声に耳を傾けていた。
 その荒々しい振動が家全体に木霊していた。恐るべき意味や、慄然たる暗示がこめられた言葉が怪物じみた喉から吐き出され、私の意識の深部まで食い入ってきた。無名にして御しがたい恐怖で私の魂を苛むのに充分な重要性を持つ名前が何度も何度も唱えられるのが聞こえた。それに加えて、それの内に、肉体的苦痛を訴える荒々しい悲鳴が女性の唇から飛び出しては響き渡るのだった。
 私がそこに立ちつくしている間に、その怖ろしい騒音は頂点に達した。私たちの周りの壁が、頭上の天井が、足許の床が長々と震え、あたかも暴風にさらされているかのようだった。それから、ゆっくりと音が静まった。ゆっくりと音が弱まっていき、不吉な囁きと呟きに変わったが、私には一言も意味がわからなかった。そして最後には、たったひとつの音が聞こえているばかりになった──ピーター=メイスの低く情熱的な声だ。彼は勝ち誇った調子で喋っていたが、そのこと自体があまりにも重大であった。
 そして私は行動を起こした。機械的に傍らの女性に背を向け、部屋の片隅の梯子に向かった。おずおずと私は木の梯子を登っていき、両手で自分の体をまっすぐに保とうと務めたが、カタツムリのようにのろのろと上方を手探りすると手が激しく震えた。頭上の部屋からは、若者の声が発作的な絶叫となって聞こえてきた。勝利の言葉や、愛撫する言葉を発している。荒々しく彼は喋っていた。
「終わったぞ! 愛する人よ、終わったんだ! 苦痛が死を破壊した。命は完璧なものになった! そうなるだろうと彼らは僕に約束してくれた、そして彼らは約束を果たしてくれたんだ。ああ、愛する人よ、僕のもとへおいで!」
 私は身震いし、長い間梯子にしがみついたまま動こうとしなかった。もっと高いところに行くのが怖かった。頭上の出入口を覆っている木の板をどかしたとき私の眼に飛びこんでくるであろう光景に気付いていたら、私は大急ぎで梯子を下り、あの邪悪な部屋を永遠に放っておいただろう。だが私には知る由もなかった。私は覆いをどけ、自分の体を頭上の床へと持ち上げた。そして私は見た。
 部屋は闇に包まれており、テーブルの上でパチパチ音を立てている蝋燭が唯一の灯りだった。私の目の前にピーター=メイスが立っていた。彼の髪はぼさぼさで、服はボロボロだった。頭をのけぞらせ、床に敷かれたニッパヤシの粗末な敷物を素足で踏みしめている。彼が両腕で抱きしめ、異常なほど痩せ衰えた自分の体にしっかりと押しつけているのは裸の女性だった──細かな粉末にした石膏のように白く滑らかな肌をした女性だった。愛らしい女性だった。あまりにも愛らしすぎた。そして、そのとき私は真実を理解した。
 やにわに私は振り返り、部屋の隅に置いてある布張りの台座を見つめた──大理石の女人が座っていた台座だ。それから、私は恐れおののきながら、ピーター=メイスが抱擁しているものを再び見つめた。彼女は同じ女人だった。神よ救いたまえ、同じ女人だったのだ! 外なる暗黒界の魔神たちが彼女に生命力を与えたのだ! ピーター=メイスの腕の中で彼にすがりついている女性は、生きた石の女性だった。
 私は見つめていた。真実であると知ってはいたが、信じることはできなかった。あまりにも怖ろしい出来事だったので、その意味を理解したくなかった。私はただ見つめ、彼女の唇から言葉が漏れるのを、そして彼が彼女の言葉に答えるのを聞くばかりだった。ずいぶん長い時間が経ってから、私は直立して大声でいった。
「君に面会したいという御婦人がいますよ、ピーター」
 ひどくのろのろとピーター=メイスは振り向き、両腕に抱きしめていた裸体のものを離した。彼は私をまじまじと見つめ、あたかも私の存在に狼狽しているかのようだった。彼は自分の周囲を眺め回した。自分のいる部屋ですら困惑の元であるかのようだった。それから彼は静かに言った。
「御婦人が? 僕に会いに?」
「そうです」と私は頷いた。「彼女が待っていますよ」
 彼は私に近づいてきた。彼には理解できていないのだった。彼の額にはしわが寄り、唇は歪んだ。己の伴侶を置き去りにしたまま彼は私の横を通り抜け、ゆっくりと梯子を下りていった。石の女人は何もいわなかった。彼女はきわめて静かに佇み、彼を見守っていた。
 押し黙って私は彼の後に続き、ぎしぎしときしむ梯子を伝って下の部屋に降りた。そこでは、もうひとりの女性が待っていた。今度は私が狼狽する番だった。
 ピーター=メイスと黒衣の女性は見つめ合った。二人とも動こうとしなかった。1分もの間、二人とも喋らなかった。二人がかくも熱心に見つめ合っていることが──二人がかくも完璧に沈黙していることが──私にはおよそ推し量れない何かを示していた。黒衣の女性が口を開くときは叫び声を上げることだろうと私は感じたが、彼女はそうしなかった。
 彼女は静かに言った。
「あなたが私を呼んだのよ、ピーター。私はここにいるわ」
 彼は彼女の方に歩み寄った。彼の背後や頭上では、くぐもったきしむ音が木の梯子から聞こえてきたが、私たちは誰も振り向かなかった。若者は怖ろしいほど眼を見開き、相変わらず見つめていた。彼は口ごもりながら言った。
「君は──君は死んでいなかったのか? ここにいるのか? どうしてそんなことが?」
「私は死んでいたの、ピーター」
「どういうことだい?」と彼は囁き声で言った。
「私は死んでいたけれど、あなたが私に命をくれた。私はあなたのところへ来たわ」
 若者は理解していないようだった。彼女が両手を上げ、ベールをめくって素顔を見せるまで──その時になって、自分の犯した罪の忌まわしい結果を彼はようやく悟った。そして私も悟った。私の目の前にいる女性は、ピーター=メイスの愛した女性だった。彼女は死んでいながら歩いているのだ! 彼の執り行った魔道の儀式によって、彼女は墓の中から甦ったのだ! この女性──私の目の前にいる女性は──血肉を備えた生身の人間であり、彼と友人の芸術家は彼女をモデルにして、私たちの頭上の部屋にいる石の女を作り上げたのだ! その姿は瓜二つで、見間違えようもなかった!
 だが、違っている点もあった。この死美人の顔が愛らしいのは、彼女がそうしているからに過ぎなかった。顔に白粉をはたいて作った仮面の下では、死が消えない眉墨を使い、拭い去れない印をしかと残していた。彼女がベールをかぶっているのも不思議はなかった!
 私やブルック船長など、彼女と接触があった人間に素顔を見せることを彼女が拒んだのも不思議はなかった! だが彼女の恋人たるピーター=メイスは、墓場が彼女の身にしたことを見極められなかった。彼の眼に入っているのは、彼女の愛らしさだけだった。彼は腕を差し出し、彼女の方に歩み寄った。そして、怖ろしいばかりの情熱をこめて彼女を抱き寄せたのだった。
 私は二人のすぐそばに立ったまま、立ち去れずにいた。梯子がきしむ音が背後でまたもや聞こえたが、それでも私は振り返らなかった。目の前で起きている痛ましい出来事以外は何も重要ではなかった。私に見えるのは、狂おしい眼をして啜り泣いている若者だけだった。彼のもとに還ってきた女性を両腕で抱きしめている──彼の不浄な儀式の遠隔力で彼方の墳墓から甦り、彼の腕の中に飛び込むために地球の半分を旅してきた女性を。彼は何度も彼女の名前を大声で呼んだ。啜り泣きながら、愛の言葉を繰り返しささやきかけた。
 彼の孤独と熱望がすべて彼の唇から流れ出し、彼の魂が彼女に対して剥き出しになっているのが見て取れた。
 その時、第六感が私を振り向かせた──あるいは、重たい足が私の背後の床をどさりと踏みしめたからかもしれない。私はゆっくりと身を翻し、立ちすくんだ。梯子のふもとに、ピーター=メイスが作り上げた石の女人が立っていたのだ。
 生きている限り、彼女の表情は私の脳裏につきまとって離れないだろう。彼女の双眸は真夜中の奈落のように暗く深かった。唇はまくれ上がって歯が剥き出しになり、野獣のごとき憎悪のうなり声を上げていた。彼女は若者の言葉を一言も余さずに聞きつけていた。
彼の一挙一動を目の当たりにしていた。そして今や、かつて美しかった彼女の顔は歪んでいた。彼女は連れ合いに棄てられた野獣だった。彼女がしようとしていることは殺人だった。
 ゆっくりと、怖ろしいほどの慎重さで彼女は床の上を進んできた。彼女は私を見ておらず、私がいることを気にも留めていなかった。彼女が見つめているのはピーター=メイスと、彼にすがりついている女性だけだった。私の傍らを彼女はまっすぐ歩いていったが、たいそう近いところだったので私は手を伸ばして彼女に触れたかもしれなかった。そして私は──神よ救いたまえ!──彫像のように突っ立っていた。身動きすることも、警告の言葉を発することも完全に不可能だった。
 起きたことを私はすべて見ていたわけではない。彼女は私に背を向けていたし、私と犠牲者たちの間にいた。だが私が見て聞いたものだけでも、私の魂を打ちのめすには充分だった。
 ピーター=メイスは愛する人にささやきかけ、低い声で愛と幸福の言葉を話していた。
出し抜けに彼の声が止み、恐怖の絶叫が上がった。彼は後ろに飛びすさり、それから再び前に飛び出した。愛する人を守ろうと悪あがきをして、無慈悲な石像に飛びかかったりしなければ、彼は逃げおおせたかもしれない。すでに、忌むべき指がもう一人の女性の喉に食い入っていた。ピーター=メイスは半狂乱でそれを引きはがそうとしていた。
 彼は我が身の安全を考えた方がよかっただろう。緩やかながらも確実に石の指は人を殺めていた。死美人は仰向けになって床に崩れ落ち、死者の眼で天井を見つめた。石像の指は絞めるのを止めた。
 その時になって、抵抗が無意味であることを若者は悟った。その時になって彼は逃げようとした。もう遅すぎた。地獄めいた両手が彼の首の肉に食い込んだ。彼は口を開け、苦悶の叫びを長々と上げた。その叫びは血まみれの喘鳴となった。彼は宙吊りになり、両足が床を打って怖ろしい音を立てた。彼女が彼を話すと、彼はもう一人の女性の死体と折り重なって倒れた。そして彼は、彼女と同じように死んでいた。
 室内には死の沈黙が満ちていた。石の女人は犠牲者たちの傍らに立ちはだかり、二人をじっと見下ろしていた。永劫とも思える時間が流れた。ゆっくりと、相変わらず一言も発することなく、石の女人は身を翻して床を歩きはじめた。彼女は手探りで掛金を外し、ドアはきしみながら内側に開いた。まっすぐ前を見つめながら、彼女はベランダを横切って階段を降りていった。ぎごちなく、そして同じように忌まわしくも慎重に、彼女はジャングルへと向かっていった。戸外の宵闇が彼女を呑みこみ、彼女は見えなくなった。

 これで話はおしまいだ。そういうわけで、ジェイソン神父すなわち私は原住民たちを引き連れて翌日ファイカナ島を引き払ったのである。みすぼらしい丸木船が転覆して溺れ死ぬ危険を冒しながら、私たちは2昼夜にわたって外洋を漕ぎ続けた。そして、ほとんど人の住んでいないメフという環礁に辿り着き、そこで新しい生活を始めることにしたのである。そういうわけで、ピーター=メイスの恐怖の家が建っていたファイカナの空地には粗末な木の板が立ててあり、その板には次のような言葉が記されている。"In Teavi o te mata epoa o Faikana"──直訳すれば、次のような意味である。「ここにファイカナの恋人たちの亡骸が眠る」
 だがファイカナ島には、たった一人だけ生きた人間が住んでいる──愛のために、罪から作り出された女性が。彼女は石の女である。彼女は死なず、安らぎを見出すことがない。
 暗黒世界の名状しがたき魔神たちが彼女を憐れみ、彼らが彼女に与えた生命から彼女を解き放ってやるまでは。

   (了)

●気が向けば五時間か六時間後に更新の予定ナリ。

(九時間半くらい経過)

●突然、憑き物が落ちた!!
 3時間あまりで10枚書けたぞ。
 どうやらこれから一気呵成にいけそうである。

●何が起こったか知らないが、この調子で頑張ろう。

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2005/01/11

風雲千早城(371)

(370回からの続きです。アタマから読みたい方は左の一覧表の「千早城(369)」をクリックしてください)

6.内なる領域

 私の感覚はぼうっとなり、混沌としていた。恐怖を感じる余裕もなければ、警戒心を抱く時間もなかった。経験したこと一切が私を麻痺させていた。しかも、焔の致命的な歌声は聞こえなかったにもかかわらず、その麻薬めいた魔力が私に効果を及ぼしていた。私は多少もがき、自分に巻き付いている触手をふりほどこうとしたように思う。それは、ある種の機械的な反応を筋肉が起こしたのだった。だが、蛾に似た生命体は気にも留めなかった。立ち上っている火と、その誘う音楽以外の何物も彼らの意識にないことは明白だった。
 しかしながら噴き上がっている炎柱に接近したとき、予期していたような熱は実際にはまったく感じられなかったということを覚えている。代わりに、言語に絶する興奮を私は神経の隅々まで感じた。まるで天空のエネルギーと創造者の歓喜が波動となって私の体に満ちているかのようだった。そして私たちは焔に突入した……。
 私の前にアンガースがそうであったように、焔の中に身を投じたものの運命は一瞬ながらも至福の消滅だろうと私は決め込んでいた。束の間の燃え上がる溶融が生じ、その後は完全に焼き尽くされて無に帰するものと私は予想していた。実際に起きたことは、いかに妄想を逞しくしても及ばぬようなことだった。そして、私の覚えた感覚の片鱗だけでも想起させようにも、語彙が不足しすぎている。
 焔が緑色の帳のように私たちを包み込み、大広間が視界からかき消された。そのとき、本質的な力と神的な歓喜そして万有を照らす光輝が、上方へと殺到していく瀑布になり、私はその瀑布に捉えられて九天の高みまで運ばれたかのように思われた。私と私の連れは炎と神の如き合一を果たしたかのようだった。私たちの肉体のあらゆる原子に超越的な拡大が生じ、空気のように軽々と飛翔していた。
 まるで私たちは単一の不可分な神性としてのみ存在しており、物質の桎梏から解き放たれて舞い上がっていくかのようだった。時空の果てを超えて、目指す先は夢想だにできぬ彼岸だった。その喜びは言い尽くせず、その上昇の自由は限りなかった。私たちは至高なる天頂の星を飛び越していくように思われた。そして、あたかも焔と共に絶頂まで達したかのように、私たちは焔を脱して休止した。
 私は高揚のあまり気が遠くなっており、炎の輝きのせいで眼がくらんでいた。いま私が見つめている世界は、私たちが馴染んでいるのとは別のスペクトルから生じる目が回るような色彩と珍しい形態の広大なアラベスクだった。光線を織り交ぜ、輝きをもつれさせ、私の眩んだ目の前で巨大な宝石のように風景が旋回した。私が態勢を整え、どっと迸るような知覚の中で細部を識別できるようになるのも、少しずつでしかなかった。
 私の周りにあるのは、極彩色のオパールとヒヤシンスの果てしない大街路だった。紫外の宝石の、並はずれたサファイアの、この世のものならぬルビーとアメジストのアーチと柱にはすべて多彩な光輝が漲っていた。私は宝石の上を歩いており、私の頭上には宝石の空があるかのようだった。
 やがて平衡感覚を取り戻し、新たに認識できる範囲に眼が慣れた私には風景の本当の様相がわかってきた。蛾のような二体の生命体はまだ私の傍らにいた。私が立っているのは百花繚乱の草原で、楽園のような植生の木々に囲まれた場所だった。果実も葉も幹も形態が三次元の生の概念を超越していた。垂れた枝の、格子模様になった葉の優美さは地球の線や輪郭では表現できず、純粋にして霊妙な物質で作られているように思われた。至高天
の光明に対して半透明で、そのため最初に見たときは宝石のような印象を受けたのだった。
 私が呼吸している空気は神酒の風味があった。足許の地面は言い様もなく柔らかくて弾力があり、私たちの世界の物質よりも高次のもので形成されているかのようだった。私の身体的な感覚は爽快と幸福の極みにあった。疲労や不安の痕跡は微塵もなく、未曾有の壮麗な行事に自分も参加した後で予期されるようなものだった。精神的な逸脱や混乱はまったく感じなかった。そして、未知の色彩や非ユークリッド的な形状を知覚できるようになった以外にも、私は触覚の奇妙な変化や拡大を経験しはじめており、そのおかげで遠方の物体に触れるらしかった。
 燦然と光り輝く空に満ちているのは複数の多彩な太陽だった。それらは多重星系の世界を照らしている太陽のようだった。だが見つめているうちに、その光は柔らかく朧気になっていき、木々や草原の眩い輝きは静まっていった。まるで黄昏が迫っているかのようだった。その無窮の驚異や神秘を目の当たりにしても私は仰天しなかった。たぶん不可能なことなどないと思えていたのだろう。だが私を驚かせ、信じがたいと思わせたものがあったとすれば、それは人間の顔だった──私の失踪した友人ジャイルズ=アンガースの顔が、光の弱まっていく宝石のような森の中から現れたのだ。後に続いているのは別の男の顔だった。写真で見たことがあったので、彼がフェリックス=エボンリーだとわかった。
 彼らは枝の下から出てきて私の前で立ち止まった。光沢のある衣装を二人ともまとっていたが、その布地は東洋の絹よりもきめ細かく、裁ち方も柄も地球にはないものだった。二人とも楽しげで、しかも瞑想的な様子だった。そして、霊妙なる果樹の特徴である透明さが彼らの顔にも僅かながら感じられた。
「待ってたよ」とアンガースがいった。「僕の手記を読んだ後で君も同じ体験をしてみようとするかもしれないという気がしたんだ。僕の書いたことが真実か虚構かをはっきりさせるだけだとしてもね。君は初対面だと思うが、こちらはフェリックス=エボンリーだ」
 彼の声は楽々と明瞭に聞き取れたので私は驚き、麻酔薬に浸した綿が自分の聴神経に及ぼした効果がこんなに早く消えてしまったのはなぜだろうかと訝った。だが、アンガースとエボンリーを見つけたという驚くべき事実を前にしては、そういう細かいことはどうでも良かった。この世のものならぬ焔の歓喜を彼らも私も生き延びたのだ。
「僕らはどこにいるんだ?」彼の紹介に礼を述べた後で私は訊ねた。「白状するが、何が起こったのか見当もつかないよ」
「僕たちがいるのは、内次元と呼ばれているところだ」とアンガースが説明した。「僕らがクレーター=リッジから投げ込まれた世界よりも高次の空間とエネルギーと物質の領域で、イドモス市の歌う焔を通り抜けるのが唯一の入口だ。内次元は炎の泉で生まれ、炎の泉によって保たれている。そして焔に身を投じるものはそこからこの上位の波動へと上らされる。彼らにとって、外世界はもはや存在しない。焔の性質は未知だ。イドモスの地下の中心部にある岩から噴出している純粋なエネルギーの泉で、人知を超えた理由から熱さを持たないということだけがわかっている」
 彼は話を中断し、相変わらず私の傍らに佇んでいる翼の生えた生命体を注意深く眺めているようだった。それから彼は言葉を続けた。
「僕自身もここに長くいるわけじゃないから、そんなにたくさんのことは知らない。でも、いくつか発見したことがある。焔を通り抜けてきた他のものたちとテレパシーで会話する方法をエボンリーと僕は確立したんだ。彼らの多くは話し言葉も会話用の器官も持たず、思考の方式そのものが僕らとは根本的に異なっている。知覚の発達が別の系統で、出身地の世界の環境も違っているためだ。でも、いくつかのイメージをやりとりすることはできる。
「君と一緒に来た人たちは僕に何かを伝えようとしてくれている」と彼は続けた。「どうやら、イドモスに立ち入って内次元に到達した巡礼者は君と彼らで最後らしい。外なる地の支配者たちが焔とその守護者に戦争をしかけてきているんだ。彼らの人民のたいそう多くが歌う泉の誘惑に応じ、高次の領域へと消えてしまったからね。今も彼らの軍勢がイドモスに迫り、動く塔の雷電で都市の城壁を破壊している」
 自分が目撃したもののことを私は彼に話した。それまで茫漠としていた事柄の多くが今や理解できたのだ。深刻な面持ちで耳を傾けてから、彼はいった。
「そういう戦争が遅かれ早かれ起きるのではないかということは前々から懸念されていた。焔と、その魅惑に屈したものたちの運命について、外なる地には多くの伝説がある。でも真実は知られていないか、ごく少数のものに推測されているに過ぎない。僕もそうだったが、焔に身を投じれば死んでしまうのだと多くのものは信じている。そして内次元の存在に薄々気づいているものたちからは、内次元は怠惰な夢見人を誘惑して世界の現実から引き離すものだと憎まれている。致命的で有害な化物か、単なる詩人の白昼夢か、一種の阿片中毒者の楽園だと見なされているんだ。
「内次元については、君に語るべきことが千もあるよ。それから、僕らの体を構成している原子がことごとく焔の中で新たに振動した後で僕らが今や属している存在の法則と状態についても。でもさしあたり、これ以上喋っている時間はない。僕ら全員が深刻な危機にある可能性はきわめて高いからだ──内次元と僕らの存在そのものが、イドモスを破壊しつつある敵対勢力によって脅かされている。
「焔は難攻不落だというものもいる。その純粋な本質は下等なビームなど受けつけず、外なる地の雷ではその源泉を貫き通せないだろうというんだ。だが、ほとんどのものは破滅を懸念しており、イドモスが中核の岩まで破壊されれば泉そのものが枯渇してしまうだろうと予測している。
「こういう重大な危機なので、ぐずぐずしてはいられない。内次元を出て、より遠いところにある別の宇宙に一瞬で移動する方法がある──凡庸な天文学者には、というかイドモスの周囲にある世界の天文学者には観測されていない宇宙だ。巡礼者の大多数はここにしばらく逗留してから、別の宇宙の世界へと旅立っていった。君さえ到着すれば、エボンリーと僕も彼らの後に続くつもりでいた。急がなければならない。一刻の猶予もならないんだ。さもないと災厄に見舞われることになる」
 彼が喋っている最中に、蛾のような二体の生命体は私の身柄を人間の友人たちに引き渡すことにしたらしく、宝石のような色をした空中に舞い上がった。そして、大街路が光輝のなかに消失している楽園のような風景の上を長々と等速で飛翔していった。アンガースとエボンリーは私の傍らに立った。そして一人が私の左腕を、もう一人が右腕を掴んだ。
「自分は飛んでいるのだと想像してみたまえ」とアンガースはいった。「この領域では、浮遊や飛行は意志の力で可能になる。君もその能力をすぐ身に着けることだろう。でも君が新しい環境に慣れて、助けが要らないようになるまでは、僕らの介助と指導が必要だな」
 私は彼の指図に従い、自分は本当に飛んでいるのだというイメージを心の中で作り上げた。その心象の明瞭さと迫真性に私は驚いた。そして、さらに驚いたことには、その心象は現実のものとなったのだ! ほとんど骨を折ることなく、宙に浮いている夢を特徴づけているのとまったく同じ感覚を覚えただけで、宝石をちりばめた地面から私たち三人は飛び上がり、輝ける空を楽々と速やかに上昇していった。
 その体験を説明しようと試みても無駄だろう。私の中では新しい感覚が全領域に渡って開けたようだったが、それに対応する想念は人間の言葉にはできないものだった。私はもはやフィリップ=ハステインではなく、より大きくて強く自由な存在だった。以前の自己とは、大麻やカワカワの影響下で展開される人格が異なっているのと同じくらい違っていた。主たる感覚は途方もない喜びと解放感だったが、大変な焦燥感が伴っていた。その喜びが脅かされることなく永遠に続く他の領域に逃れなければならないという切迫感だった。
 燃え上がって光る木々の上を飛んでいると、深甚にして美的な歓喜が湧き起こってきた。この世界の形態と色彩が尋常の眼には見えないのと同じくらい、常識的な光景によって得られる普通の喜びを私の歓喜は遙かに上回っていた。景色が変わるたびに真の法悦があった。風景全体が再び輝き、私が最初に見たときにまとっていた煌めきへと復すると、その法悦は頂点へと高まった。


7.イドモスの破壊

 私たちは高々と舞い上がり、何マイルも続く迷宮のような森や、長く豪華な草原や、官能的な襞のある丘や、広大な宮殿や、エデンの清純な湖や川のように澄み切った水を見下ろした。それはすべてひとつの光り輝く霊妙な生き物のように震え鼓動しているようで、光輝に満ちた天空では燦然たる歓喜の波が太陽から太陽へと伝わっていた。
 前進していくと、しばらくして私はあの光の部分的な陰りに再び気づいた。眠気を催す夢見るような哀愁を色彩は帯びたが、その後にはまた恍惚たる輝きの時期が続くのだ。この過程の緩やかな干満のリズムは、アンガースが手記に書いていた焔の上昇と下降に対応しているように見え、何か関係があるのだろうと私は即座に推測しはじめた。この考えが頭に浮かぶや否や、アンガースが喋っていることに私は気づいた。彼が口を利いているのか、彼の言語化された思念が聴覚以外の感覚を通じて私に伝わっているのかは定かでなかった。いずれにせよ、私には彼の言葉がわかったのだ。
「その通りだよ。泉と音楽の盛衰は、内次元ではあらゆる風景の陰りと輝きとなって認識されるんだ」
 私たちの飛行は加速した。友人たちがあらん限りの精神力を振り絞って速度を増そうとしていることを私は理解した。眼下の地は瀑布のような色彩の奔流となって霞み、流れていく光輝の海と化した。火のように輝いている空気の中を、私たちは星々のように突進していくかのようだった。その限りない上昇の法悦は、未知の災厄から全速力で脱出していく不安は言葉にできないものだった。だが私はそのことを決して忘れないだろうし、私たち三人の間にあった言い様もない団結と理解のことも忘れないだろう。私の脳細胞のもっとも奥深く、もっとも永らえる部分にその記憶は刻み込まれたのだ。
 輝きが変動する中で、私たちの傍らや上下を飛んでいる他のものたちがいた。隠された世界や秘められた次元の巡礼者たちだ。私たちと同様に別の宇宙へ進んでいくところであり、内次元はその宇宙の控えの間である。これらの生命体の身体的な形態と属性は信じがたいほど突飛なものだった。だが私は彼らの異様さが少しも気にならず、アンガースやエボンリーに対して抱いているのと同じ確固たる親愛の念を彼らに対しても感じた。
 さらに前進していく最中に、二人の友達は私に多くのことを語ってくれたようだった。いかなるものなのか私にはよくわからない方法で意思を伝達し、新しい存在となって学んだ多くのことを私に教えてくれた。この情報を伝えるための時間はあまりないかもしれないといわんばかりの深刻な慌ただしさで、地球上にいたのでは絶対に理解できないような想念が伝達されてきた。五感や哲学の抽象的な記号や数学的な思考では認識できないよう
なことも、私にはアルファベットのように明白だった。
 しかしながら、これらのデータの幾らかは言語では大まかにしか伝わらないものだった。新しい次元の生活に加わっていく漸進的な過程のことを、新参者が適合の期間に得る力のことを、あらゆる知覚が混じり合って増加することで得られる深遠で美的な種々の喜びのことを、私は教わった。自然力と物質自体が制御できるようになっているので、衣類や建築物はただ意志の作用のみで造り出せるそうだった。
 より遠方の宇宙への移動を支配している法則のことも私は教わった。充分な長さの時間を内次元で過ごしていない者にとって、そのような移動は困難かつ危険なのだそうだ。なおまた、焔を通ってイドモスへと引き返していった者がいないのと同様に、より高次の次元から現在の水準へと戻ってきた者はいないのだとも聞かされた。
 アンガースとエボンリーは内次元に充分長くいたので、彼方の世界へと立ち入ることができるそうだった。超空間の通路と、その下にある恐るべき深淵に一人で挑む者を支えるのに必要である特殊な平衡能力を私はまだ開発していないが、自分たちの補助があれば私も脱出できるだろうと彼らは考えていた。見通すことの能わない無窮の領域があり、惑星や宇宙が累々としている。そこへ私たちは到達し、その驚異と壮観の直中で無期限に住まったり逍遙したりできるのだ。これらの世界では、より巨大で高度な科学法則の会得や、現在の次元の環境を超越した実在の状態に私たちの脳が適合することになる。
 自分たちがどれだけ飛んでいたのかは見当もつかない。なぜなら他の事柄すべてと同じように、私の時間感覚も完全に変化していたからだ。比較していえば、何時間か飛び続けていたのかもしれない。だが私たちが飛び越していった崇高な地域を通過するには何年も、もしくは何世紀もかかるのではないかと私には思えた。
 目的地が見えてくる前に、その明瞭で写実的なイメージが私の心に浮かんだ。疑いようもなく、ある種の思念伝達によるものだった。巨大な山脈が見えたように思う。神々しい嶺が連なり、地球の夏の入道雲よりも高くそびえていた。それら一切の上に、無色で渦巻状の雲に頂を取り巻かれた紫外の嶺が突出しているのが見えた。不可視ながらも多彩な倍音に心が揺さぶられたが、その音は天頂の彼方の空から嶺の上に降り注いでいるらしかった。外なる宇宙への道が上空の雲のなかに隠されていることがわかった……。
 ますます私たちは上昇していった。そして、とうとう地平線の彼方に山脈が現れ、紫外の最高峰が積雲の冠をたなびかせているのが見えた。私たちがますます接近していくと、奇異なる雲の渦巻がほとんど頭上に迫り、天までそびえて多彩の太陽の直中に消えていた。私たちの先を行く巡礼者たちの光り輝く姿が見えた。彼らは渦巻く襞へと入っていくところだった。この瞬間、天空と大地は再び燃え上がり、その輝きは頂点に達した。景色は一千の色彩と光輝で燃えており、それだけに予期せぬ蝕が唐突に起きたのは一層完全で怖ろしいものだった。何かがおかしいことに私が気づく前に、友人たちが絶望の叫びを上げるのが聞こえたように思う。それまでに私が獲得していたのよりも微妙な感覚を通じて、迫り来る災厄を彼らは感じ取っていたに違いない。それから、目的地の山嶺が高々と輝かしくそびえている向こうに、暗黒の壁がせり上がってくるのが見えた。それは怖ろしくも速やかで、疑いようもなく明白なものだった。巨大な波のように、至る所で立ち上がっては、内次元の多彩な太陽と火のような色の景色の上に崩れ落ちていた。
 影の立ちこめてきた空中で私たちはぐずぐずと静止していた。大破局が迫ってくる前では無力で、希望もなかった。そして全世界を取り囲み、四方八方から私たちの方に押し寄せてくる闇を見ていた。闇は天空を喰らい、外側の太陽をかき消した。私たちがその上を飛んできた広大な地が縮んでいく様は、火をつけられて炭化していく紙のようだった。だんだん小さくなっていく光明の中心で、私たちは恐るべき一瞬をただ待っていた。夜と破壊の荒れ狂う力は津波のような急激さで光明に迫っていた。
 光明の中心は縮み、ただの点になってしまった──そして圧倒的なまでの大渦巻の如く、大伽藍の壁が崩れ落ちてくるかの如く、私たちの頭上に闇が落ちてきた。渦巻く空間と力の咆吼する海の中で、粉々になった世界の残骸と一緒に私は落ちていったように思う。落ちていく先は星々の下にある奈落であり、忘れ去られた太陽と星系のかけらが散らばっている窮極の黄泉だった。それから計り知れないほど間隔を置いて、荒々しい衝撃が感じられた。まるで宇宙的な夜の底で、これらのかけらの直中に自分が墜落したかのようだった。
 私は悪戦苦闘して意識を取り戻した。遅々とした途方もない骨折りであり、まるで動かしがたい重みの下で、無明にして不動なる銀河の残骸の下で押し潰されてしまったかのようだった。まぶたを開けるだけでも巨人の力が必要であり、私の五体の重たいことは、それが人間の肉体よりも高密度の元素に変わってしまったか、地球よりも大きな惑星の重力を受けているかのようだった。
 私の精神作用は麻痺し、苦痛に満ちたものだった。そして徹底的に混乱していた。だが、落ちてきた石の巨大な塊の直中で、引き裂かれ傾いた舗道の上に自分が横たわっているということを私はとうとう理解した。私の頭上では、ひっくり返されて引き裂かれ、巨大な穹窿をもはや支えていない壁の直中に鉛色の空の光が降り注いでいた。私のすぐ傍らに、煙を噴き出している穴があった。その穴からはボロボロの裂け目が床に広がっており、地震で生じた断裂のようだった。
 私はしばらく周囲の状況が認識できなかった。だが骨を折って考えを巡らせた末に理解したのは、自分が横たわっているのがイドモスの寺院の廃墟だということ、刺激臭のする灰色の煙を私の傍らで噴き出している穴は歌う炎の泉が湧き上がっていた穴だということだった。途方もない破滅と荒廃の光景だった。イドモスに降りかかってきた怒りは寺院の壁や塔門をひとつとして残しておかなかったのだ。薄汚れた空を私は廃墟の中から見つめたが、その廃墟に比べたらヘリオポリスやアンコールワットですら小石の山に過ぎなかったことだろう。
 ヘラクレスの努力をもって、私は煙る穴から顔を背けた。その薄く緩慢な煙は幽霊じみた渦を巻いて立ち上っていた。以前はそこから焔の緑の熱情が湧き上がり、歌っていたのだ。そのときになって私はやっと友人たちに気づいた。アンガースはまだ意識を失っていたが、すぐそばに横たわっていた。そして彼のすぐ向こうに、エボンリーの青ざめ歪んだ顔が見えた。柱が倒れ、破壊されたペディメントが彼の下半身を床に押さえつけていた。
 終わらない悪夢を見ているような思いで、鉛が入っているように重い体を奮い立たせようと努力し、この上なく苦痛を伴って骨折りながらも動けるようになった私は立ち上がるとエボンリーのところへ行った。一瞥したところアンガースは怪我をしておらず、やがて意識を回復しそうだった。だがエボンリーは巨大な一枚岩に押し潰され、もう虫の息だっ
た。12人の手助けがあっても彼の体から石をどけてやるのは無理だったし、彼の苦痛を和らげるためにしてやれることもなかった。
 私がエボンリーの上に屈みこむと、彼は微笑もうとした。勇敢で痛ましい努力だった。
「無駄ですよ──僕はもう行かなきゃ」と彼はささやいた。「さようなら、ハステイン──それと、アンガースにもさようならと伝えてください」
 彼の歪んでいた唇から力が抜け、まぶたが閉じた。そして彼は寺院の舗道に倒れ伏した。夢のように非現実的な恐怖の直中で、ほとんど感情を覚えることなく、私は彼の死を理解した。私は相変わらず疲労困憊の極みにあり、考えたり感じたりできなかったのだ。麻酔から覚めた後にやってくる最初の反応のようだった。私の神経は焼き切れた電線のようで、筋肉は粘土のように力を失って反応しなかった。私の脳髄は灰となって破壊され、さながら内部で大火があったかのようだった。
 どれだけ間があった後かは良く思い出せないが、どうにかして私はアンガースを起こした。彼はぼんやりと上体を起こした。エボンリーが死んだことを告げたときも、私の言葉は彼に何ら感銘を与えていないようであり、彼は理解しているのだろうかと私はしばし訝った。とうとう、明らかに苦労しながらも己をいくらか奮い立たせて、彼は私たちの友人の亡骸を見やり、ある程度は状況の怖ろしさを理解したようだった。だが私がイニシアチブを取らなければ、彼は絶望と倦怠の極みにあったまま何時間も、ことによるとずっとそこにいたのではないかと思う。
「さあ」しっかりしようと努めながら私はいった。「ここから出ないと」
「どこへ?」気怠そうに彼は訊ねた。「焔は源を絶たれてしまった。内次元はもう存在しない。自分もエボンリーのように死んでしまえば良かったのにと思うよ──気分からすると、死んだも同然だがね」
「クレーター=リッジに戻る道を見つけなければ」と私はいった。「超次元の回廊が破壊されていなければ、きっと見つけられるはずだ」
 アンガースには私の言葉が聞こえていないようだったが、私が彼の腕を取ると、おとなしく従った。屋根をなくした広間や倒壊した柱の直中で、私は寺院の中心から出口を探しはじめた……。
 私たちの帰還のことを思い出そうとしても朧気で混乱しており、延々と続く退屈な譫妄に満ちている。エボンリーの方を振り返ったことは覚えている。彼は蒼白で、巨大な柱の下に相変わらず横たわっていた。その柱が彼の永遠の記念碑となるのだ。それから、山のような都市の廃墟のことも覚えている。生き残っているのは私たちだけらしかった。見渡す限り廃墟には石が散乱し、溶けて黒ずんだブロックが転がっていた。そこではまだ溶岩が巨大な断裂の中で奔流となったり、地面に開いた底なしの穴に流れ込んだりしていた。
そして瓦礫の直中に、黒こげになった亡骸を目撃したことも覚えている。黒ずんだ肌の巨人たち、イドモスの住民にして焔の守護者の成れの果てだった。
 巨人の城塞が砕け散った中で迷ってしまった小人のように、私たちは躓きながらも前に進んでいった。悪臭を放つ金属性の蒸気のせいで息が詰まり、疲れ果ててよろめき、至る所で放射されては荒波となって私たちに押し寄せる熱のせいで眼がくらんだ。倒れた建物や、崩れた塔で道がふさがれており、私たちはその上を危なっかしく骨折りつつ乗り越えていった。そして、世界の根本まで穿たれているように見える巨大な断裂のせいで遠回りを強いられることもしばしばだった。外なる帝王たちの動く塔は撤退していた。かつては都市の城壁だったもの、引き裂かれて原形をとどめていない岩滓の上に私たちがよろよろとよじ登ったとき、軍勢はイドモスの彼方の平原に姿を消していた。私たちの前には荒廃があるばかりだった──火に焼かれて黒ずみ、蒸気を噴き出している荒野が。草木はまったく残っていなかった。
 私たちはこの荒野を横切り、平原の上にある紫の草原の斜面へと辿り着いた。侵略者たちの雷が通っていった道の向こうに斜面はあった。そこでは、名前もわからない人々によって据えられた標識のモノリスが、蒸気を噴き上げている荒野とイドモスの瓦礫の山を相変わらず見下ろしていた。そして、二つの世界をつなぐ戸口となる灰緑色の石柱のところに私たちはとうとう今一度やってきたのだった。
(了)

●竹岡さん、有難うございました。
 この作品のご感想と、竹岡さんへの声援は「懺悔の間」にお書き込みください。

●とっても重くなったので、本日は、三日分を使わせていただきました。
 これもお正月スペシャルということで、ひとつ。
 参ったよ、三回もトラックバックをやり直しちゃった。

●そうこうしているうちに短編は、完成目前ナリ。
 らんせ先生、わたしゃ頑張りますよーーー。

(八時間くらい経過)

●で……出来ました。
 佐々木小次郎と霧隠才蔵の友情物語。
 しかも、あの作品と、この作品とをつなぐ架け橋の役目も果たしている。
 ついでに、マカロニ・ウェスタン調も少しだけど出せました。
 しかし、辛かった。

●明日からマジに「白凰坊」に戻ります。
 今までのところが気に入らないので三回目のリテイクしながら先に進めることになるでしょう。
 なあに、わたしには神様がついてるんだ。
 きっとできるさ。あははは……。

●業務連絡、
 綾辻さん、稲葉さん、年賀状が返ってきてしまいました。ごめんなさい。
 柴田よしきさん、新津きよみさん、御本を頂戴したのに何もメールしなくて失礼いたしました。
 牧野修さん、小林泰三さん、田中啓文さんも、御本のお礼が済んでませんでした。失礼しました。
 藤原ヨウコウさん、お暇なら、また電話ください。雑談いたしましょう。
 

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風雲千早城(370)

(369回の続き)

4.3人目の冒険者

 私すなわちフィリップ=ハステインは我が友ジャイルズ=アンガースの手記を何度も通読し、ほとんど暗記してしまったほどだったが、そこに記されている出来事が作り話なのか事実なのかいまだに確信がなかった。アンガースとエボンリーの超次元の冒険。炎の都と、その奇異なる住民や巡礼者たち。エボンリーの焼身。そして、同様の目的のために語り手も引き返していったことが日記のおしまいの部分でほのめかされている。アンガースを有名にした小説のひとつで彼がいかにも考えそうなことだった。このことに加えて、物語全体が到底ありそうになく信じがたいことであり、手記の内容を事実として受け入れるのを私が躊躇したことも容易に御理解いただけるだろう。
 しかしながら一方では、二人の人間が失踪したことによって生じた不可解きわまりない謎があった。一人は作家として、もう一人は画家として、両方とも有名だった。二人とも上り調子で、深刻な悩み事など抱えていなかった。あらゆる事柄を考慮するに、日記に記されていたのより妥当で常識的な理由で二人の失踪を説明するのは困難だった。この記録の緒言で述べたように、何もかも手の込んだ冗談なのだと私は初め考えていた。だが時間が経っていき、いたずらをしたのではないかと疑われている二人が姿を見せないまま1年が過ぎ去ろうとするにつれて、この理論はますます説得力が乏しくなっていった。
 アンガースが書いたことはすべて真実であったと私は今ついに証言できる──そして、それ以上のことも。なぜなら私もまた歌う焔の都イドモスに行き、内次元の崇高な栄光と歓喜のことをも知ったのだから。いかに拙く不満足なものであろうとも、あの壮麗な光景が記憶から薄れていく前に人間の言葉で語らなければならない。なぜなら、これらは私も余人も二度と見たり経験したりできないことなのだから。
 イドモスは今や廃墟と化している。炎の寺院は礎石に至るまで吹き飛ばされ、歌う炎の泉は源を絶たれた。外なる地の支配者たちがイドモスにしかけた大戦で、泡がはじけるように内次元は消滅してしまった……。
 ようやくアンガースの手記を下に置いた後、じれったい奇妙な問題が生じて忘れられなかった。漠然とした、しかし限りなく示唆に富む展望がアンガースの物語によって開けたのだ。それは私の空想に絶えず付きまとって繰り返し現れ、謎が半ば闡明されていることを暗示していた。何らかの重大で神秘的な意味が背後に存在するという可能性に私は悩まされていた。何らかの宇宙的な実在があり、アンガースはその外観と周辺を見たに過ぎないという可能性である。時が経つにつれて、私はそのことをひっきりなしに考えるようになり、単なるホラ吹きには作り出せないものがあるという意識と圧倒的な驚異にますます囚われるようになった。
 1939年の初夏、新しい小説を仕上げた私は、しばしば心に浮かんでいた計画を実行するのに必要な余暇が初めてとれると感じた。私が二度と帰ってこなかった場合に備えて事務をすべて整理し、やり残した原稿や書状をまとめると、1週間の休暇をとるという口実でオーバーンの我が家を後にした。実際にはサミットに行ったのだ。アンガースとエボンリーが人間界から姿を消した界隈を丹念に探索しようと考えていた。
 奇妙な強い感情を覚えた私は、クレーター=リッジの南にある打ち捨てられた小屋を訪れた。アンガースの住んでいた小屋だ。私は松材の粗末なテーブルを見た。そのテーブルの上で我が友人は手記をしたため、それを収めて封印した私宛の包みを去りしなに残していったのだ。
 その場所は寂寥感が不気味に覆っており、非人間的な無限なるものがすでに乗っ取ったかのようだった。冬の間にうずたかく積もった雪の圧力で、施錠されていない扉は内側にたわんでいた。その隙間から松の葉が敷居をよぎって入りこみ、掃き清める者もない床に散乱していた。理由はわからなかったが、そこに佇んでいると、あの奇怪な物語はより現実的で信憑性に富んだものに感じられた。まるで語り手の身に生じた出来事すべてを密やかに暗示するものが今なお小屋のあたりに留まっているかのようだった。
 私がクレーター=リッジそのものを訪れ、破壊された石柱の台座に似ているとアンガースが明確に描写した二つの丸石を見つけ出そうと、何マイルも続く疑似火山性の瓦礫の直中を探し回るに至って、この奇妙な暗示はますます強まった。アンガースが彼の小屋から歩いていったに違いない北向きの道を辿り、長く荒涼とした丘陵を彼が散策した道筋を再現しようとしながら、私はそのあたりを隅から隅まで徹底的に調べ上げた。アンガースは丸石の場所を明示していなかったのだ。こんな風にして二朝を過ごしても結果が出なかったので、すんでの所で私は探索を打ち切り、灰緑色で石鹸質の奇妙な石柱の台座はアンガースのもっとも刺激的で人を欺く創作物のひとつであるとして片付けようとした。
 三日目の朝になって私が探索を再開したのは、先ほど述べた漠然とつきまとう暗示のせいだったに違いない。今度は、1時間以上も丘の頂上を行ったり来たりし、蝉の住む野生のフサスグリの茂みとヒマワリが埃っぽい斜面に生えている直中を縫うように蛇行した後に、それまで一度も見たことのない空地に私はとうとう辿りついた。岩に取り囲まれた円形の空地だった。なぜか以前の探索では見過ごしていたのだが、それがアンガースの話にある空地だった。そして私は言い様もなく興奮を覚えながら、磨り減って見える二つの丸石が円環の中央にあるのを目の当たりにしたのだった。
 その奇妙な石を詳しく調べようと前に進み出ながら、私は興奮のあまり少し身震いしていたと思う。かがみ込みつつも、丸石の間にある小石だらけの不毛な空間に足を踏み入れないよう注意しながら、私は丸石の片方に手で触れた。不可思議なまでにすべすべしているという感じがした。かっと照りつける8月の太陽に丸石と周囲の土壌が何時間もさらされていたことを考えれば、その冷たさも説明がつかないものだった。
 アンガースの物語は単なる御伽噺ではないと私はその瞬間から完全に確信した。このことについて自分がそんなに確信を持てた理由は言い様がない。だが自分の立っているところは異界の神秘の戸口、未知なる深淵の縁であるように思われた。私は馴染み深いシエラの峡谷と山々を見回し、それらがいつもの輪郭をまだ保っているか、異世界の接触によって変容していないか、不可思議なる次元の燦然たる栄光に侵食されていないかと訝った。
 世界と世界をつなぐ戸口を自分がまさしく発見したことを確信して、私は奇妙な沈思黙考へと駆り立てられた。私の友人が入っていった異界は何なのか、どこにあるのか? 宇宙という建造物の中にある秘密の部屋のように、すぐ身近なところにあるのだろうか。それとも実際は彼方の銀河の惑星にあり、天文学の距離で勘定すれば何百万ないし何兆光年も離れているのだろうか?
 結局のところ、私たちは宇宙の本質についてはほとんど、あるいは何も知らないのだ。
 もしかすると、私たちには想像もつかないやり方で、ところによっては無限の空間が折りたたまれて次元の襞が生じ、アルデバランへの距離をただ一歩とする近道ができるのかもしれない。また、無限の空間は二つ以上あるのかもしれない。アンガースが落ち込んだ空間的な「瑕疵」は一種の超次元で、果てしない間隔を短縮して宇宙と宇宙をつなげるものなのだろう。
 しかしながら、天体と天体を結ぶ戸口が実在のものであり、望むならばアンガースとエボンリーの後を追っていけると確信したが故に、私は実践の前に躊躇した。神秘的な危険と、他のものを圧倒してしまう否定し得ない誘惑のことを忘れてはいなかったのだ。空想に富んだ好奇の念が、外なる領域の驚異を目撃したいという熱狂的なまでに強烈な渇望が私の心に食い入っていた。だが、歌う焔の阿片めいた力と魅力の犠牲者になる気はなかった。
 私は長いこと立ちつくし、奇妙な丸石と荒れ地を、小石の散乱した地点を注視していた。
その地点が未知の世界への立ち入りを許可してくれる。とうとう、明日まで冒険を延期しようと心に決めて、私は立ち去った。他の者たちが自発的に、さらには喜々として赴いていった不気味な運命のことを思い浮かべて、自分が怯えていたことは認めざるを得ない。一方で、探索者を彼方の場所へと導いてくれる運命的な魅惑に私は惹かれていた……ことによると、これ以上の何かに。
 その晩はほとんど眠れなかった。朧気ながらも燦然とした予感で、危険と光輝と広大さが半ば闡明されたという暗示で、神経と脳髄が興奮していた。翌日の早朝、まだネヴァダ山脈の上に太陽がかかっているうちに私はクレーター=リッジへと戻った。強力な狩猟用ナイフとコルトの拳銃を携え、弾薬帯を一杯にして装着した上、コーヒーの魔法瓶とサンドイッチが入った背嚢を背負っていった。
 出発する前に、新種の麻酔薬に浸した綿で私はしっかりと耳に栓をしておいた。その麻酔薬は弱いながらも効き目があり、数時間は私の耳を聞こえなくしてくれるはずだった。こうしておけば、炎の泉の士気を喪失させる音楽にも平気だろうと思われた。見晴らしのよい岩だらけの景色を眺め回して、自分がその景色を再び見ることはあるだろうかと私は訝った。それから決然として、しかし高い崖から底なしの淵へと飛び込む人間の不気味な高揚感と無力感を覚えつつ、灰緑色の丸石の間にある空間へと私は足を踏み出した。
 概して言えば、私の感覚はアンガースが手記に書いたのと似たものだった。暗黒と果てしない空虚が私を包み込んで渦巻き、目が回った。水車を回す水か突風の直中にいるかのようだった。錐揉みしながら私はどんどん墜落していったが、その墜落がどれだけ続いたのかは見当もつかない。容赦なく窒息させられ、一息つく力さえも失って、私の筋肉と骨髄を凍りつかせてしまう冷たい真空の中で、私は次の瞬間には意識を失い、死もしくは忘却というさらに大いなる深淵へと落ち込んでいくことだろうという気がした。
 何かが私の落下を食い止めたらしく、自分がじっと立っていることに私は気づいた。だが私が足をつけている硬い物質と自分の位置関係は垂直なのか水平なのか、それとも倒立しているのかという変な疑問に私はしばらく悩まされていた。それから雲が晴れるように暗黒がゆっくりと晴れていった。紫色の草が生えた斜面と、私が立っているところから坂の下へと続いている不規則なモノリスの列と、すぐ近くにある灰緑色の石柱が見えた。彼方には巨大な切り立った都市があり、丈高く多彩な平原の植物の上にそびえていた。
 ほぼアンガースが描写したとおりだった。だが、風景の詳細と雰囲気の要素に違いがあることに私はそのときですら気づいていた。はっきりと直接的に指摘することはできなかったが、アンガースの手記が私に教えてくれなかったものだった。そして、そのときの私はあまりにも平衡感覚が失われており、見るものすべてに圧倒されていたので、違いの性質について推測してみることなど思いもよらなかった。
 幾層も狭間胸壁が密集し、無数の尖塔がそびえている都市を凝視していると、秘密の魅力が見えざる糸をなしているのが感じられ、どっしりした壁と無数の建物の背後に隠されている神秘を知りたいという切実な願いに私は囚われた。そして一瞬の後、平原の反対側にある彼方の地平に私の視線は吸い寄せられた。まるで何らかの相容れない衝動に駆られたかのようだったが、その性質や由来は判然としなかった。
 私は驚き、不正で不遜なものがあったかのように、いささか困惑すら覚えた。それはたいそう鮮明で明確な光景を友人の物語から心に描いていたからに違いない。もうひとつの都市とおぼしきものの輝く塔が遙か彼方に見えたのだ──アンガースが言及していなかった都市だった。塔は密集してそびえ立ち、奇妙な弧を描いて何マイルにも及んでいた。そして塔の背後にあり、陰鬱な網や不吉な這いうねる細糸となって琥珀色の輝く空に広がっている黒雲からくっきりと見分けがついた。
 近くにある都市の尖塔から魅惑が放射されているのと同様、より彼方の光り輝く尖塔からは、微妙ながらも不穏で嫌悪させるものが放射されているようだった。尖塔が邪悪に光りながら震えたり脈打ったりしているのが見えた。まるで生きている動物のようだったが、大気が光を屈折させることによる見かけ上の現象だろうと私は決め込んだ。そのとき、塔の背後にあった黒雲全体が、鈍い怒りに満ちた緋色で瞬時に輝いた。その探り回る網や蔓までもが赤く輝く炎の線条と化した。
 緋色が薄れ、雲は先程までと同様に不活発で鈍重な状態に戻った。だが先頭に立っている塔の多くから、あたかも槍が突き出されるかの如く、塔の下にある地面に赤と紫の炎の線が飛び出した。炎の線は少なくとも1分間は保たれ、消滅する前にゆっくりと大幅に動いた。塔と塔の間にある空間には、静止することなく光り輝く無数の粒子が今や見え、戦闘的な原子の軍勢のようだった。ことによると、それらは生き物なのかと私は訝った。その考えがそれほど空想的に思われなければ、そのときでさえ私は断言できただろう。彼方の都市はすでに位置を変えており、平原にあるもうひとつの都市に向かって前進しつつあったと。

5.迫りくる運命

 雲は閃きを発し、塔からは炎が飛び出し、光線の屈折による現象と思われる振動もあったが、それらを除けば眼前そして周囲の景色はすべて不自然なまでに静まりかえっていた。奇異なる琥珀色の大気や、鮮やかな紫色の草むらや、威風堂々と華やかに茂っている未知の木々には、途方もない暴風や大地震の前兆となる完全な静寂があった。垂れ込めている空には宇宙的な危機の予感が充満しており、朧気ながらも剥き出しの絶望がのしかかって
いた。
 この険悪な雰囲気に不安を覚えて、私は背後の二本の柱を見た。アンガースによると、それが人間界への帰途の門だった。一瞬、私は引き返したいという衝動に駆られた。それから私は再び近くの都市の方を向き、どっと押し寄せてくるような畏怖と脅威の中で前述の感覚は消失した。建物の巨大さを前にすると、深く崇高な高揚が感じられてぞくぞくした。建物の構造の輪郭そのものが、建築的な音楽の和声が、従わずにはいられない魔法を私にかけたのだ。クレーター=リッジに戻りたいという衝動を忘れ去り、私は都市へと向かって斜面を降りはじめた。
 紫と黄色の森の枝がすぐ私の頭上に穹窿を作り、色鮮やかな天空を絢爛たるアラベスクで飾っている葉と相俟って、まるで巨人が高々と築いた側廊のようだった。その向こうには、目的地の城壁が高く層をなしているのが時たま見えた。だが地平線上にあるもう一つの都市の方を振り返っても、閃きを発する塔はもう見えなくなっていた。
 しかしながら、巨大な黒雲の固まりが絶えず空に立ち上り、悪意に満ちた黒っぽい赤色へとまたもや燃え上がるのが見えた。まるで、この世のものならぬ種類の幕電光が生じているかのようだった。私の麻痺した耳には何も聞こえなかったにもかかわらず、雷のような長々しい震動で足許の地面が揺れていた。その震動には奇妙な性質があって、脈打ち刺すような不協和音が私を苛立たせた。それは、割れたガラスや拷問台での締め上げのように苦痛を与えるものだった。
 私の前にアンガースがそうしたように、舗装された巨大な幹線道路に私は辿りついた。その道を辿っていくと、聞こえざる雷が轟き渡った後にやってきた静けさの中で、より微妙な別の振動が感じられた。都市の中心にある神殿で焔が歌っているのだとわかった。その振動は私を慰撫し、高揚させ、支えてくれるようだった。あの雷の拷問じみた脈動のせいで私の神経に今なお残っていた痛みを、柔らかな愛撫で消し去ってくれるらしかった。
 途上では誰にも会わなかったし、アンガースを追い越していったような超次元の巡礼者たちに追い抜かれることもなかった。そして私が森を出て、もっとも高い木よりもさらに高々と城壁がそびえているところまでやってきたとき、都市の大門が閉ざされていることがわかった。私のような小人が入りこむ隙間さえなかった。
 怪夢を見た人が味わうような奇妙な当惑を心底から覚えながら、厳格で仮借なく黒々としている門を私は凝視した。漆黒で光沢のない金属の巨大な一枚板で門は作られているようだった。それから私は上を向き、壁がアルプスの断崖の如く垂直にそそり立っているのを見た。どうやら狭間胸壁は無人らしかった。都市は住人たちに、焔の守護者に見捨てられてしまったのだろうか? 焔を崇め、我が身を焼き滅ぼすために遠方の地からやってくる巡礼者たちにはもう開放されていないのだろうか?
 一種の茫然自失とした状態でそこにぐずぐずと留まった後、奇妙に嫌々とした気分で私はきびすを返し、来た道を引き返した。歩いていると黒雲が限りなく近づき、二つの翼に似た不吉な形をとって空の半分を覆い尽くした。不気味で怖ろしい光景だった。そして、あの怒りに満ちた禍々しい炎で雲は再び光った。私の麻痺した耳を衝撃波で打つような爆発音があり、私の体内の神経繊維を引き裂くかのようだった。
 次元間の門口に辿りつく前に嵐に見舞われることを懸念して、私は躊躇した。性質も未知ならば威力もすさまじい四大の狂乱に自分がさらされるだろうとわかったのだ。そのとき、絶えず沸き起こっている不吉な雲の前の空中に、二体の飛翔する生命体が見つかった。
彼らをなぞらえられるものがあるとしても私には巨大な蛾しか思いつかなかった。明るく光り輝く翼で、真っ黒な嵐の前触れの直中を彼らは冷静ながら一目散に飛び、私の方に近づいてきた。そして、唐突ながら楽々とした身のこなしで停止しなければ、閉ざされた門に頭から衝突してしまったことだろう。
 ほとんど羽ばたかずに彼らは降下し、私の傍らに着地した。彼らの体を支えている奇妙で繊細な脚は膝関節のところで分岐し、たなびく触覚と揺れ動く触手になっていた。その翼は華麗な斑紋のある真珠色と茜色、乳白色と橙色の網だった。頭部は、飛び出した眼と落ちくぼんだ眼がずらりと連なって取り巻き、ぐるぐると巻いて輪になったホルンのような器官がついていた。その器官の中空になった末端からは、中空に細糸が垂れ下がっていた。私は彼らの姿に仰天した。だが解しがたいテレパシーによって、彼らが私に対して友好的な存在であることが確信できた。
 彼らが都市に入りたがっていることがわかった。彼らが私の窮状を理解してくれたこともわかったのだが、そのときの出来事に対して私は心構えができていなかった。この上なく機敏で優雅な仕草で、蛾に似た巨大な生命体のうち一体が私の右腕を押さえ、もう一体が左腕を押さえた。私が彼らの意図を憶測することすらできずにいるうちに、彼らは私の五体に長い触手を巻き付け、強力なロープを使ったかのように私をぐるぐる巻きにした。
 そして、私の体重など何でもないかのように私を運び上げ、巨大な城壁を目指して空中に舞い上がったのだ!
 迅速に易々と上昇していくと、壁は私たちの横そして眼下を下方へと流れていき、熔けた石が波打つかのようだった。私は目眩を覚えながら、巨大なブロックが際限なく後退し沈んでいくのを見守った。それから私たちは広々とした城壁と同じ高さになり、守るものもない胸墻をよぎったり、峡谷のような空間の上を飛んだりしながら、巨大な長方形の建物や無数の正方形の塔へと向かった。
 私たちが壁を通過するや否や、巨大な雲がまたもや稲妻を発し、私たちの眼前にある建物で不気味な光が明滅した。蛾に似た生命体は何の注意も払っていないらしく、奇妙な顔を見えざる目的地に向けて都市の直中へとまっすぐに飛び続けた。だが、嵐の様子を窺おうと顔を後ろに向けた私は、驚くべき光景を眼にすることになった。都市の城壁の向こうには、黒魔術か魔神の労役で成し遂げられたかのように、もう一つの都市が出現していたのだ。そして、燃え上がる雲が赤々とドームを作っている下では、高い塔が素早く前進しているところだった!
 二度目に一瞥すると、その塔が平原の彼方に見えたのと同じものであることがわかった。私が森を通り抜けている間に、塔は未知の動力を使って何マイルもの広がりを旅し、焔の都に迫っていたのだ。移動の仕方を見極めようと、より注意深く眺めたところ、塔が車輪ではなく、どっしりした短い脚の上に乗っていることがわかった。脚は関節のある金属の柱のようで、それを使って塔は見苦しいながらも大股に歩くのだった。それぞれの塔に6本以上の脚があり、塔のてっぺん近くでは眼のような大きい開口部が列をなしていた。その開口部から、前述した赤と紫の雷火が放たれていた。
 多彩な森はこの雷火によって焼き払われ、壁に至るまで何リーグもの広さにわたって無惨な有様だった。動く塔と都市の間には、湯気を立てている黒い砂漠があるばかりだった。
 そして私が注視している前で、岩かどのごつごつした城壁を長いビームがさっと捉え、一番上にある胸墻が城壁の下の熔岩のように熔けてしまった。この上なく怖ろしく、かつ壮大な光景だった。だが一瞬後、建物が並んでいる直中に私たちは突入したので塔は私の視界からかき消されてしまった。私を運んでいる巨大な蛾のような生物は、帰巣する鷲の速度で進み続けた。その飛行の最中には、意識的に考えることも決断することもほとんどできなかった。息もつけず目の眩む自由奔放なる空中移動と、広大にして驚異的な石造迷宮の上方への朧気な浮遊の中にのみ生きていたのだ。その建築的な形象はバベルの如き途方もなさだったが、目撃したもののほとんどは実際には意識できていなかった。後になって、もっと平静に当時を振り返れるようになったときに、首尾一貫した形態と意味を自分
の印象に与えられるようになっただけだった。
 一切合切の広大さと異様さのせいで私の感覚はぼうっとなっていた。私たちの背後の都市に放たれつつある破滅的な一大異変や、私たちが逃れようとしている災厄のことは朧気にしか理解していなかった。私には想像できない敵意ある勢力によって、私の考えの及ばぬ目的のために、この世のものならぬ武器と機械で戦争が行われていることはわかった。
だが私にとって、それはすべて四大の混乱であり、宇宙的な大破局という漠然として非人間的な恐怖だった。
 私たちは都市の奥へ奥へと飛んでいった。広々としたプラットホーム状の屋根や、何層も積み重なって高台のようになった露台が私たちの眼下で飛び去っていき、舗道が流れていく様はとてつもなく深い黒ずんだ急流のようだった。地味な立方体の尖塔や正方形のモノリスが私たちの周囲や頭上の至る所にあった。そして屋根のいくつかには、黒っぽい肌と巨大な体躯をした都市の住民が見えた。彼らはゆっくりと威厳を込めて動いているか、あるいは謎めいた諦念と絶望の態度で佇んでいた。武器を帯びているものはおらず、防衛の目的で使用されるとおぼしき機械類はどこにも見あたらなかった。
 私たちは素早く飛んでいたが、沸き起こりつつある雲はもっと速かった。間隔を置いて光る雲が都市の上に暗いドームを作る一方で、その繊維は天空のさらに彼方まで網目を広げ、反対側の地平線まですぐに届くだろうと思われた。建物は暗くなり、そして閃光が反復されるたびに照らし出された。轟き渡る震えの苦痛に満ちた脈動を私は体の隅々まで感じた。
 私を運んでいる有翼の生命体が焔の寺院への巡礼者であることを私は漠然と理解した。寺院の中心から放射されている星辰の音楽のものであるに違いない影響に私はますます気づいていった。空気は柔らかく慰撫するかのように震えており、聞こえざる雷鳴の引き裂くような不協和音を吸収して無力化するようだった。神秘的な避難所か、星辰と天空の安全地帯に自分たちが入りこんだという気がして、私の悩まされていた感覚は鎮められつつも高揚した。
 巨大な蛾のような生命体の華麗な翼は下方に傾きはじめた。眼前と眼下の少し離れたところに巨大な建築物が見えた。それが焔の寺院であることはすぐにわかった。寺院を取り巻いている広場の荘厳な空間に私たちはひたすら降下していった。そして私は、非常に高い開けっ放しの入り口を通って中へと連れていかれ、1000本の柱がある天井の高い広間を通り抜けた。奇妙な安らぎに満ちている朧で神秘的な薄明が私たちを包み込んだ。天地創造以前の古色と宇宙的な広がりを備えた領域に私たちは入りつつあるように思われた。柱の立ち並ぶ洞窟を辿っていき、究極なる星の核へと至ろうというのだ。
 私たちが最後の巡礼者であり、今回の巡礼者は私たち3人だけであるらしかった。寺院の守護者たちも立ち去ったようだった。柱の並ぶ薄明の中をずっと飛んでいく間、私たちは誰にも出くわさなかったのだ。しばらくすると暗がりに光が差し、光芒を放射する輝きの中へと私たちは突入した。そして広大無辺な中心の部屋に私たちはやってきた。そこでは緑色の炎の泉が噴き上がっていた。
 私が覚えているのは、影の立ちこめた明滅する空間と、果てしなく高くて見えない天上と、ヒマラヤのような高みから見下ろしている巨像と、とりわけ舗装された床の穴から吹き出しては神々の歓喜が具現化したかの如く空中に立ち上っている眩い炎の印象だけである。だが、これらすべてを私が眼にしていたのは一瞬のことだった。そして、自分を連れてきた生命体は翼を水平にし、炎に向かって一直線に飛んでいくところだということを私は理解した。彼らは片時も停止せず、躊躇して羽ばたくこともなかった。

(この続きは「千早城第371回」へ。読みづらくてすみませんねえ)

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