今日も農耕的に仕事をした。
・いま東京新聞の夕刊には九代目・松本幸四郎の芸談が連載されているのだが、昨11月18日付には「都市伝説」と題して、興味深い話が紹介されていた。以下に引用させてもらう。
・「今は取り壊されてしまったが、大阪に中座という古い小屋があった。/そこで夏に「東海道四谷怪談」の民谷伊右衛門をやった時のこと。お岩を殺
して、隠亡(おんぼう)堀から戸板で流す場面。花道まで来ると「伊右衛門、伊右衛門」と声がする。「誰だ、俺を呼ぶのは誰だ」と、そこで寝鳥(ねどり)の
合方が入って、「誰だ、誰だ」と言いながら花道を戻りかけたその時、着物の裾(すそ)をググッと誰かに強く引かれた。中座の花道は、お客さまの手が届かな
い高さ。一瞬、背筋がゾッと凍りついた。悪戯(いたずら)の主は、中座の奈洛に昔から祀られている芝居者狸(しばいもんたぬき)だったのか? その狸に
「形にこだわって恐怖心を忘れているぞ」と戒められたのかもしれない。それにしても気味の悪い体験だった。/南北以前、歌舞伎の役は、死んでしまえばおし
まいで出番はなかった。そのコンセプトを根本的に覆したのが南北だ。彼は、目に見えない世界、それはあの世であったり来世であったりするのだが、これが表
裏一体を成していて、すべての現象は因果応報に基づいているという、それまでにない世界観を持っていた。「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」
も、筋は荒唐無稽に思われるが、南北の理論によれば、すべては因果応報。死んだ人間の魂が生き続けているからこそ、奇々怪々な出来事が起こるのであって、
観客は次から次へと、物語の展開を期待する。/巨大な蝦蟇(がま)が登場する「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」で世に出た南北は、舞台
の仕掛けの大胆さや工夫で人気を博した。しかし、今再び彼の作品を演じてみると、もちろんケレンの魅力は否定しないが、むしろ最大の魅力は、宇宙観、世界
観の深さだと思える。文化文政時代の歌舞伎が、一方で大衆に迎合しながら、一方で深遠な思索を内包していたことに、今更ながら江戸の芸能者のしたたかさを
感じて驚かされる。ひょっとしたら南北は、江戸時代の都市伝説の語り部の先駆者だったのかもしれない。/おぼろ夜の鬼女の棲み家を訪ねけり。」
・大阪の芝居小屋の奈落に神が祀られているというのは初めて知った。しかも、それが「芝居者狸」とは。狸を神とするのは、大阪の人特有の民間信仰なのだろうか。
・笹間良彦先生の『図説・日本未確認生物事典』(柏書房)によると、「狸火/狐火と同じく狸も火を燈して人々を驚かすことは『想山著聞集』に「昔
から尾張国勢田在高田村の森には怪物がいて人に害を与えたが、時々火を燃したりするので駆けつけてみると火の気はない。これは狸の悪戯である」としてい
る。」のだそうだ。
・ちなみに東京の麻布には「狸穴(まみあな)」という地名があるが、これは正確には「けものへん」に「瑞」のつくりと書いて「まみ」と読ませる字
が正しい。Wikiによれば、「この地に生息していた猯(まみ=アナグマ)にちなんで『まみあな』という地名がついたのだが、後に狸の字と混同されてしま
い、狸穴(まみあな)と書かれるようになったとする説が有力である。」とある。
・一方、『図説・未確認生物事典』によれば、「猯は狸の異名ともいわれ、東京のマミアナという地名は狸穴と書く。またマミタヌキともいい、訛って
豆狸ともいうが、豆の字を用いる程小型ではない。従って妖怪視される獣類で魔魅の当字もある。『和漢三才図会』巻第三十八獣類の中では、狸・狢(むじ
な)・猯(まみ)を区別して解説している」とある。
・と、ここで書き悩んでいた短編のモチーフである「本草学(江戸の博物学)」と、四谷怪談に象徴される「ホラー」と、南北の名で象徴される「伝
奇」とが一線で結びつき、伝奇小説の守護神は、九代目の口を借りて、私に神託を賜った。すなわち、「形にとらわれて恐怖心を忘れるなかれ」と。
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